無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

信じる者はすくわれる。偶に足を。

ラジオを一回とばした事をHikaruは悔いているだろうが、「それでもよかった」と思う。第1回を聴き直しながら「次回はどんな内容になるだろう」と妄想した日々。文句無く楽しかった。そういう楽しさを提供してくれるからこそ、たとえ守られなくても破られてもやっぱり"約束"はいいものなのだ。

そう、嘘でもいいから「これをやるよ」と言ってくれれば楽しみようもある。何やってるかわからない、次どうなるかもわからない、では妄想ひとつはたらかない。やるかやらないか以前に、「毎月第3火曜は」の一言が希望そのものとなる。次の熊淡まで頑張るかーという気持ちになる。勿論毎月はぐらかされ続けていてはいつのまにか愛想をつかれる事になるんだろう。狼少年というか狼少女というか。でも、たまに失敗する・穴を開けるくらいいいじゃないか、とも思う。そこらへんのバランスは、各々のファン次第でしかないだろう。

わかりやすくいえば、うたゆなが終わってからぼくはくまの発表があるまでの1ヶ月半より、熊淡第一回からの1ヶ月、或いは第二回までの2ヶ月の方が、私は楽しかった、更に、どうせならそっちの方がいいとすら思った、という事だ。予定と約束の効果はそれである。不在でも楽しい。居たらもっと楽しい。裏切られた時のリスク、というものをもし考えるのならばちょっとしたギャンブルだが、Hikaruに裏切られたと思った経験がない…強いていえば離婚くらいかなぁ…ので、それがリスクとして実感が伴わない。嘘も裏切りもいいから、「長らく歌っていきたいので」に代表される"希望"をばんばん振り撒いて欲しいものである。



離婚くらい、という書き方は誤解を招くだろう。恐らくこれは、「"結婚"観」に対する認識の違いだろう。ヒカルは「こどもは?と訊いてくる人が多くてビックリした」と言っていたが、こちらからすれば「そりゃそうだろ」としか思えなかった。日本人の標識的な"結婚"観ならそりゃ家族を形成する宣言ととるわなぁ、と。そういう"結婚"観からすれば、3年半やら4年半やらで離婚した結婚は"失敗"と言われるだろう。幾らそれが本人たちにとって有益な時間だったとしても、だ。

いや違うな。自己訂正。もっとシンプルな理由だ。アンチ・キリヤンなヒカチュ宇のみなさんが「この結婚はもたん」と口々ににいうのをきいて「いやこの結婚は正しい」とずっと私は擁護し続けていたので、そこで梯子をはずされてずっこけた、とそれだけの話だ。裏切りというほどもない。こどもが居ない以上、結婚も離婚も2人の合意で進めればよかったのだし。つまりあれだ…信じてたのに違っていた、と私が感じた数少ない例のひとつだった、というだけのことですな。また来週っ。