無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

感情推移操作

また来週、とか書いておきながら早速続きを書こうとする私。全く以て気紛れな事この上ない。

ラジオ番組の特徴は、放送日時が決まっていて、それが予め周知されている事である。当たり前過ぎる程当たり前だが、これがアーティストにとっては悩みの種だ。何しろ、当日何がしたいかだなんて、その日になってみないとわからない、それがアーティストのアーティストたる所以である。予め何がどうなるかがわかっているのなら、それがわかった時点でアートの創作は終了している。最早、興味の対象ではない。

ヒカルは、そういった"アーティスト像"から距離をおく為にプロフェッショナルとして自分を律してきた。しかし、本物であるがゆえにその"monstrous"との格闘にしばしば敗北を喫する。考えてみれば世にも珍しいタイプの音楽家である。

その折衷案、というと違うかもしれないが、ヒカルはルーティン・ワークに入る事を嫌い、「次のリリース・デートが出るまでいつ何があるかわからない」という状況で大体仕事をしてきた。レールが沢山敷かれ始めると、どこかの時点でEmergencyが鳴り響き、倒れる。それをギリギリで押し切ったのがUltra Blue United Project だった。よくもったよなあれ。

でも、その時、9月にツアーを終えてもう11月には新曲を発表していたのだ。ぼくはくまである。そして明けて1月にはFlavor Of Lifeという、こうやって文字にすると怒涛に次ぐ怒涛の展開だった筈、、、なんだが、当時のファンの心境はそれを反映したものではなかった。代々木で最終日を終えた後、皆が何を思ったかといえば「これからどうなるんだろう」という不安と期待の入り混じった感情だったのだ。ここである。

極端な話、この9月の時点で「これから11月に新曲、12月にはDVD、1月にも新曲発売!」と打たれていえばずっと祭だったんだが、そうはならなかった。その為、あとから年表をみれば「間断無い」ようにみえる時期でも当時を過ごしたファンの実感は異なるのである。確か、私は「これでここから2年休むのかな〜」と言っていた筈だ。実際、Wild Lifeの時と似た感情を抱いていた気がする。

損をしている。宇多田ヒカルは、損をしてきたのだ。もしプロジェクト性を重視し、もっと演出と予定を駆使していればハードワーカーぶりを印象付けられただろうに。その、ファンの"感情の推移"を、ラジオ番組は吸い取る事が出来るのではないか、出来つつあるのではないか、そういう話を…しようと思ってたのだがやっぱ来週にしますかね。どないやねんっ。