無意識日記々

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#風立ちぬレビューその1

今回はHikaruとまるで関係ない話題だが、彼女自身プロフィールの「好きな映画」欄において一人だけ名指しで「宮崎駿作品」と全幅の信頼を伴って書いているクリエイターの5年ぶりの新作についてだから、たぶんHikaruも興味あるんじゃないかという事でひとつ。なお、細かい点を除きネタバレは避けるが、マニアな人は観てから読んだ方がいいかもしれない事を書く。

風立ちぬ」をレイトショーで観てきた。いやぁ素晴らしかった。

この作品は世間一般でいうところの「地雷型作品」だとはいえる。しかしそれは単なる失敗作という意味ではない。

問題があるのは「触れ込み方」なのだ。事前の情報では、この作品は実話を元にした自伝的小説(堀辰雄風立ちぬ」)と、実在の人物(零戦設計士:堀越次郎)の人生2つを組み合わせた現実に基づいたノンフィクションタッチの映画だ、という事になっていた。忠告しておく。そのつもりで観に行ったら凡作にしか見えない事請け合いである。

宮崎駿監督作品「風立ちぬ」は、徹頭徹尾ファンタジー作品だ。そこのところを見失うとこの作品の評価を見誤る。前作、前々作のパウル・ポニョのファンタジーっぷりについていけなかった人間にはとても無理。

今のところ、"なのに実際の舞台や歴史背景、実在の人物を援用している"のは、あんまりにもファンタジーとしての骨格が色濃い為、バランスをとって現実的な要素をちりばめたのかな、という邪推すらしたくなるほど。そしてそれが、この作品をわかりにくくしている。裏を返せば、そこさえ踏まえてしまえば、こんなわかりやすい作品はない。

どれだけファンタジー要素が強いかは、主人公のみる夢の場面を観れば明らかだろうからそれは観てのお楽しみ。あれを「夢だから」で片付けるとおかしな事になる。

だから、もしこの作品の舞台があの地中海風の「魔女の宅急便」の土地で、主人公がトンボ君が大人へと成長していく物語、みたいな設定だったら誰もが絶賛する宮崎アニメの再来として歓迎されたんじゃないだろうか。勿論彼はそんな事はしないだろうが、この作品の物語の骨格はそういう事だ。時代背景とか、その現代との同調具合とか戦争の悲惨さとか矛盾との葛藤とかそういった悩ましい話ではなく、ただただ純粋に美しい、絵本のようなストーリーを何故か昭和初期の日本を舞台に描いてある。そこのギャップを観客がどう埋めるかにかかっている。間違っても大人の鑑賞に耐えうる恋愛映画なんてものは求めていない。そういう意味においては全然大人向けの映画ではない。年齢は無関係に、肝はその舞台設定、昭和初期のビジュアルや飛行機の造形を気に入るかどうかが分かれ目になっている気がする。次回に続く。