前回述べたように、この作品におけるメイン・テーマは「風」である。そして、それは、アニメーションと、そのアニメーションを創造し続ける絶え間無い情熱の象徴であり、"絵を動かす"摩訶不思議な力の比喩でもある。
風とは元来不思議なものだ。誰が押しても引いてもいないのに勝手にものが、人が動く。空気という概念のない人間にとっては不思議で仕方がなかったのではないか。その不思議さとアニメーションが動く不思議さを掛け合わせた境地にこの作品は存在している。
一方でもう一つ、目に見えない不思議な力がある。それは重力だ。風の方が人を空へも飛ばす"自由の力"であるならばこちらは人を地面に縛り付ける"束縛の力"である。風がアニメーションの不思議さの体現であるならば、地面とその力である重力は、絵を動かす時にアニメーターたちに立ち塞がる数々の困難の象徴でもあろう。
だからといって今、その技術的な具体に立ち入る必要はない。この映画は心をシンプルにして「絵が動いた!」「空を飛んだ!」と素直に感動する為の作品であるのだから。
しかし、この一点だけは踏まえておいてよいかもしれない。この作品の冒頭部が「関東大震災」の場面である事だ。勿論2011年の東日本大震災が大きなインスピレーションになっただろう事は疑いがないが、それ以上に、これは、"地面の力の脅威"を観客に印象づける事が目的だったのではないかとみている。主人公は設計技師として空を飛ぶ事に挑戦し続けるが、その大前提として、"大地が人間の自由を奪うその途方もない力"を最初に描く必要があった。観てもらえればわかるが、まるで怨念でも纏っているかのようにまがまがしく生々しい描写である。その技法は前作「崖の上のポニョ」での"水"の表現技術から更なる上積みがあった事を感じさせる見事なものだ…
…いやいや、そんな細かい話はいい。肝心の話に戻ろう。この作品のメイン・テーマ、メイン・モチーフは「風」である。これは揺るぎ無い。
観客は冒頭から、様々な煙りや何やらを観る。蒸気機関車から吹き出すスチームに、男たちがくゆらせる煙草の煙。時代背景を的確に描く為に…なんていうのはとってつけた理由である。他にもポットから立ち上る湯気の揺らめきなども出てくるが、それらは皆「風の動きの視覚化」である。煙や湯気の動きをリアリスティックにアニメーションとして起こすのは大変難しいが、スタジオジブリはその難題にあらゆる場面で挑戦する。「風の動き」をどうアニメーションで表現するか。このチャレンジがこの2時間余りの作品を終始一貫貫いているのだ。特に後半、堀辰雄の小説「風立ちぬ」をベースにしたと思しき名場面での数々の「風」の描写、即ち空気の動きの描写は美しさをこれでもかと増してゆく。
アニメーションにおける「空気の流れの表現」、「風の動きの描写」があらゆる場面で有機的に機能しまくった挙げ句に、映画をご覧になった方はもう御存知だろう、あのラストシーンがあるのだ。ありとあらゆる"風"をアニメーションで表現した最後に最も美しい"風"が吹く。それはつまり、人を夢に駆り立てる原動力、情熱の象徴なのだ。
勿論、普通の伝記的物語としてこの映画を観たとしてもあのラストシーンはそれなりに感動するだろう。しかし、一度そうやって観た人は、今度はアニメーションそのものに注目して観て欲しい。ありとあらゆる風の動き、空気の流れを資格化していく過程の終局として、もう一度あのラストを観てみれば、また違った感動が胸の中を吹き抜けていく筈である。
もう一度繰り返しておこう。この作品のメインモチーフは、タイトル通り「風」である。アニメーションにおける様々な、ありとあらゆる"風と空気の表現"に、目を見開いておいて欲しい。疾駆する機関車から立ち上る蒸気、ゆらめく紫煙、湯気、そして空から降ってくる…嗚呼、あれは殊更美しかったな。是非劇場で観て欲しい。
そして、勿論、もう言うまでもないだろうが、飛行機とは人間にとって、風を操る、自由に風を作り出す力の象徴であり、飛行機が飛行を成功させる高揚感はアニメーションが見事に絵を動かした時の高揚感と喜びの象徴である。そして、この作品では飛行機は次々に、当たり前のように墜落する。先程述べたように、地震を筆頭とした"圧倒的な大地の力"に人は負かされ続ける。それはまた、アニメーションを作り上げる際の数々の挫折と試行錯誤と軌を一にしている。人間の不自由と力不足から、如何に脱出するか。飛び出すか。設計技師二郎の挑戦はそのままアニメーター宮崎駿の挑戦でもあるのだ。
付言的に。映画の中で、飛行機は何度も牛に牽かれて道を行く。別にあんな場面描く必要はないのだが、わざわざあの場面を挿入するのは、恐らく飛行機というものは大地にへばりついている時はあんな程度のものでしかない、という比喩なのだと思う。即ちそれは、アニメーションというものが現実の世界ではいかほどのものでもない、ただ想像力を飛翔させる時になったら力を発揮するものなのだ、という批評精神の表れなのだと。あのシーンに漂うセンス・オブ・ユーモアは、恐らく史実に基づいたものであるとはいえ、なんとも可笑しくて微笑みを誘う。私は好きだ。次回は(まだ続くんかい)いよいよ「音」について切り込んでいこう。