「風立ちぬ」は、つまるところ、話を纏めると(でないとそろそろ私の方が禁断症状が出そうだ。まぁかなり久し振りに"blogのネタと全く関係なく光の曲を聴く"日々を送ったのは貴重な経験だったかもしれない―その良し悪しは別として)、そこに人間ドラマを見に来た人には凡作で(前田有一氏は40点だったな)、アニメーションを観に来た人には傑作以外の何ものでもないのだ。ただそれだけである。この作品の"地雷ぶり"は、そこで評価が真っ二つに別れる事にある。
人間ドラマとして観ると、まず庵野秀明の"演技"が下手過ぎて冷めるし、主人公は誠実で真っ直ぐで現実に居そうもない、まさに宮崎アニメの主人公らしい主人公だし、ヒロインの一途さも全く現実離れしているし周りはいい人ばかりだしこの物語は御都合主義的ですらありリアリティはかなり弱い。飛行機が戦闘機になる戦争というものに対しての矛盾と葛藤を描くには掘り下げは浅いし、恋愛モノとして見た場合大人らしい駆け引きや思惑の欠片もない、まるで幼稚園児同士の…と書こうとしたのだが「そういや幼稚園児も随分えげつなかったなぁ」と思い出してしまった…いや、ファンタジーそのものの恋愛で、こども向けですらない。これは流石に評価のしようもない。40点もむべなるかなである。
しかし、この作品をアニメーション映画として、つまり、動く絵と声と音の作品として観た場合、全く異なる輝きを放ち始める。ただただ、美しい。それは絵画の美しさというより、ただただ『アニメとして』の美しさである。
ぶっちゃけて言ってしまえば、宮崎駿は「止め絵」の画家としてはそれほど才能がある方ではない。小津好きの私は、彼が映画を構成した"一枚絵"の美しさとどうしても比較してしまう。あれには遠く及ばない。しかし、勿論駿の真価は絵が動き始めた瞬間にある。あの躍動感。あの漲る生命力。彼の手にかかれば、人間も動物も植物も自然も地面も海も建物も機械も何もかも総てが命を吹き込まれたかのように躍動する。やはり、少なくともこの日本では(それは恐らく、"史上"と言い換えられるのだろう)最も優れたアニメーターなのだろう。"ただの絵"に、これだけのものを託せるのだから。
ちょうど7年前の今頃、2chが最も面白かった時だ、「これは単なる絵だ」という名スレッドが立った事があったが、宮崎アニメは「これはただの絵だ」と悟ってからが勝負である。そのただの絵が動く! 何とも驚かしい。その視点から観た時、なるほど、確かにこれは宮崎アニメの最高傑作、最高峰かもしれない。同業者たちからの評価が極端に高いのもよくわかる。
問題はそこである。宮崎駿は、最高のアニメーターであるとともに、非常に優れたストーリーテラーでもある。彼は漫画家としては二流だろうが、ことあの「風の谷のナウシカ」の壮大な物語の構築に関しては手塚治虫にも匹敵するかという手腕を見せた。漫画版の話ね。それを考えると、この優れたアニメーションでもっと際立った物語、人間ドラマ、いや大河ドラマを見てみたい、とも思うのだ。まぁそういうてるわりに私風立ちぬの純愛物語凄く素直で好感がもてるからいいとは思ってるんだけどね。
というわけで、これが"宮崎駿の最高作"と言うのは些か躊躇われる。私は。しかし、風の谷のナウシカと対になるようなタイトルをここに持ってきた事は素直に感慨深く、そろそろ彼の最後の作品が近いのかな、という思いは強い。
「風」をテーマに作品をつくったのだから、アニメーションにとって、これ以上のテーマは最早アレしかない。そう、「光」である。アニメーションを突き詰めると結局それは「見る」「見える」事につきるのだ。アニメの"動き"/"情熱"/"原動力"の象徴が「風」ならば、それら総てを成り立たせている根源は我々の心、目、そして光しかない。もし宮崎駿が次の作品で「光」をテーマにするのなら、主題歌についてはいよいよ我らが宇多田ヒカルの出番だろうな。(断言) やってくれると信じているよ。