無意識日記々

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#風立ちぬ レビューその5

風立ちぬ」の、今度は「音」の話。

最初冒頭の曲だけレトロ感を出すためにそうしたのかな、と思ったらさにあらず。最後までずっとそうだった。この映画、全編モノラル音声なのな。ぐぐってみたら確かに事前記事にしっかりそう書いてあった。うぅむ。

5.1chサラウンドが標準となっている映画館で、真ん中のスピーカーしか鳴らさない、というのは逆に一昔前では出来なかった事でもある。2chのシステムには真ん中にスピーカーなんてないのだから。即ち、パブリック・アドレス的には、映画館のどこに居ても画面の中央から音が聞こえてきて都合がいい。古いように見せかけて結構モダンなモノラルである。

で、モノラル音声だから何が違うか、何か物足りないかというと全くそんな事はない。映画を楽しむ上で何の支障も感じなかった。多くの観客が「そういえば」という程度なんじゃないかな。普段から映画館に通い慣れているような層からすれば、斜め後ろからも声が聞こえてきそうなサラウンドがない事に違和感を感じるかもしれないが、ジブリ映画といえば普段映画館に足を運ばない層すら呼び込むコンテンツである。彼らにとっては、何もなかったに等しいのではなかろうか。

正直、「何故モノラルにしたのか」という問いに対しては「ステレオである必要がなかった」以上の積極的な理由は思いつかない。「これで十分だからいいんじゃないか」と。作品の時代背景を考えれば、一部の場面にも登場したように、蓄音機から流れてくる音楽もモノラルなのだからそれに合わせた、或いは、劇中でそれが鳴っても違和感がないようにした、ともみてとれる。ずっとステレオの音楽が流れてくる中、蓄音機からモノラルで音楽が流れてくるとどうしても聴き劣りするというか、いきなりしょぼくなったような感覚に陥るだろうからね。その点だけをみても、モノラルでよかったともいえる。

何より、この作品はアニメーション自体が非常に雄弁である為、そんなに音楽にでしゃばってもらう必要はない、という事なのかもしれない。音に凝りすぎてそちらに気をとられて肝心のアニメーションの印象が薄くなってしまうのを避ける、という意味合いもあったのではないか。劇伴音楽も効果音も、あクマでアニメーションを盛り立てる為の脇役に過ぎない、脇は脇に徹すべし、という哲学なのかもしれない。もしそうだとすればこの試みは成功だったといえる。コロンブスの卵的な、見事な発想の勝利である。