無意識日記々

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#風立ちぬ レビューその6

最近この日記でも度々「モノラルの魅力」について語ってきた為、「風立ちぬ」がモノラルである事は如何にもタイムリーだった。いや、だから何ってのはないんだけど。

ステレオの魅力は臨場感である。まるでその場に居るような感覚。5.1chでは、特に前方の席ではあからさまだが、画面の外側からも音が聞こえてくる感じすらする。そうやって音に取り囲まれる感覚がない為、どこまで行ってもこの映画での「音」は、BGMも含め「絵」の補足説明以上の役割は与えられていない。

その代わり、その「絵」の充実振りは目を見張る程だ。昔からそうだとは思うが、宮崎駿監督は銀幕の使い方が上手い。即ち、映画館で観るスクリーンの大きさを計算に入れて絵を動かしてくる。最近は家庭用テレビも随分大画面になったものだが、この"上手さ"を感じる為には、やはり映画館に足を運ぶのがいちばんだろう。

画面の余白の残し方。銀幕上でのキャラクターの左右への動き。これは私だけかもしれないが、音がモノラルだった分絵が余計に大きく見えた気がする。というのも、先程述べた通り今の映画館での5.1chサラウンドでは、画面の外側からも音が押し寄せてくる為、その感覚と比較してどうしても画面を"手狭"に感じてしまうのだ。この枠の外にも世界が広がっているのにそこは映っていない、と無意識のうちに感じてしまっている。

モノラルだとそれがない。存分に、動く絵の大きさを堪能できる。それに、人間の耳とは現金なもので、たとえ効果音がモノラルでも画面上でキャラが右から左に動けば、音もそれに伴っていると解釈してしまうものである。「動く絵が主役」。モノラル戦略の真意はその主張にあるかもしれない。

となると気になるのは人の声、も声を当てている人たちの事だ。これはモノラルもステレオも殆ど関係ないが、庵野秀明監督…って今回は監督じゃないが…が主役の声をあてている、と大変話題になった。彼の声はどうだったか。

結論から言えば、私は適任だったと思う。宮崎アニメは声優に意外な人選をする事で有名だが、これは気を衒った感じがしない。ちゃんとアニメに、主役の彼に合った声をあてていると感じた。確かに演技が上手いか下手かといわれれば下手だし、特に滑舌がいいわけでもないが、"声による人柄の表現"という点ではハマっていたように思う。

彼の評価については、もう少し時間をかけて語らなければならないかな。そろそろHikaruの事を書きたくて書きたくて堪らなくなってきているのだが、もう暫くアニメの話を続けておこうと思う。彼女が読んでくれていたら、いいんだけど。