無意識日記々

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引退宣言とプロジェクト・サイズ

風立ちぬ」特集をさんざやった身なので触れとくか。宮崎駿監督が6日かいつかに長編映画引退に関する記者会見を都内で開くそうな。先に穿った見方をしておけば、映画祭中の本人以外からの発表という事で賞レースを有利に展開しようという意図とも取れるし、日本国内向けにはちょうど夏休みも終わった頃だから観客動員のテコ入れのタイミングという風にもとれる。しかし、いずれにしても、今まで何度となく"引退を匂わせて"きた彼が、正式にその発表が目的で会見を開くのは、初めてかな? 内容如何なのは間違いないが、セッティングとして「今度ばかりは本気らしい」という空気が作られている気がする。続報を待ちたい。

年齢的には、映画監督として活躍できる年限はまだまだ先の筈だ。100歳付近になっても現役の監督というのは存在する。しかし、現役のアニメーターとなるとどうだろう。こちらの事情は全く知らないが、実際に手指を動かす職種なだけに、肉体的限界というのは自ずから現れてくる。アニメーション監督である前に、一流のアニメーター、絵描きさんだった彼が今の自身の実力をどうみているか、というのもあるだろう。

後は、長編アニメーションのプロジェクト規模である。携わる人数を考えると、ただの思いつきだけでは完遂しない。ある程度の計画性がないと無理だ。たとえ製作にとりかかっても、最後まで見届けられる気力体力があるか。その見通しも必要か。途中で監督引き継ぎって手もあるとは思うけど。

やはり、アニメーションという文化は、大規模プロジェクトスタイルであり、例えば深海誠のようにほぼ総てを1人でやりきる方法も、技術の進歩と共に増えていくと思うが、それは大体同時に「じゃあ何人かでやった方がもっと早くない?」という類の"単純作業"の集積でもある。その為、その責任者の立場に居る人間の進退発言は重い。彼1人でアニメーション映画を作る訳ではない=他の人を大量に巻き込む事になるのだから。


これが作詞家作曲家だと話は異なる。基本1人の作業である。複数のソングライターが協力しあう場合、共作よりまず別々の楽曲を個々に作る方が簡単、というか煩わしさがない。アルバムという単位ではなく、楽曲という単位でみた時はやはり1人1人の独立な作業がいちばん効率がよい。

裏返せば、作曲家という職業には"引退"という発想が似合わない。幾らそれを声高に叫んだとしても、休日の日にちょっとピアノでも触ってみようか、と思っただけで曲のアイデアが出てきてしまって…というのは幾らでも有り得る。"商業的引退"という宣言ならありかもしれないが、今はボタンひとつで世界中に配信できる時代である。リスナーとしては"引退"前と変わらない。作曲家は、引退について気まぐれであり、殆ど意味をなさないと言っていい。


つまり"引退"宣言は、関わるプロジェクトの大きさによって、その価値が決まるものだ。トッププロスポーツ選手の引退宣言では凄まじい数の関係者がそれに向けて動く為撤回はなかなかしづらい。草野球選手が引退宣言をした一週間後に撤回しても、飲み代返せ位で話は済む。そういう事だ。

作曲家に"引退"は考えにくい。例えある時点でそう思ったとしても撤回へのハードルが限り無く低いからだ。リスナーの方は、粘り強く"貴方の曲が聴きたい"と発信し続ける事が肝要だろう。それは案外、大きな力となるだろう。