桜流しは相変わらず素晴らしい。何度聴いてもちょっとこれは凄すぎる。毎度の事になってしまうが、いやこれはまだ宇多田ヒカルの最高傑作ではないのだからと自分を諫める事になる。規格外のスケール感だ。
しかし、これEVAQのエンディング・テーマ・ソングなんだよね。バッチリ合っていた、というのは封切り当時何度も書いたのでもう繰り返さないが、改めて考えてみれば少し不思議だ。というのも、EVAQは依然としてアニメーション映画であり、ならば桜流しは分類的には"アニソン"として扱われても不思議はない。しかし、私も含め、その文脈で語る人を今に至るまで殆ど見掛けていなかった。つまり、桜流しは"アニソン"というジャンルに於いて改めて語る内容が少ないのである。ない、と言い切ってしまってもいい。
これが、Beautiful Worldの時と違う所だ。新劇版初の主題歌ともなれば、間違いなくあの「残酷な天使のテーゼ」と比較される。それはヒカルも意識した。この歌が桁外れなのは、EVAのみならず、ありとあらゆる日本のアニソンの中で最もカラオケで歌われている、いわばアニソンの中のアニソン、King of the Ani-Song 、アニソンという文化の象徴的存在なのだ。その事実も踏まえた上で、Beautiful Worldはあのサウンドになった。ちょっとした90年代っぽさ、少しいなたいあの感じ、確かにヒカルが自分の趣味だけで作ったらああはならなかっただろうなと思わせるサウンドである。しかし、勿論2007年のJpopソングとして見事に成立していた。完璧を上回るソリューションだった。宇多田ヒカルという名前を聞いた時のアニメファンの反応と、Beautiful Worldを聴いた後のアニメファンの反応の対比は、広辞苑の「掌返し」の項目の第1項として採用して欲しい程の鮮やかさだった。
そこから、全く"アニソン"という括りで語られない桜流しに至るには破のBWPbAMのサウンドが必要不可欠だった。これまた非常に評判がよく、あの破のエンディングの後の呆然とした感覚とバッチリマッチしていた。同じ歌でありながら、"アニソンぽさ"はここでかなり減じていた事になる。振り返って見ても、非常によくできた流れである。
何だか、巧妙過ぎて震えが来る位だ。アニソンの王道を先代に持ちながら、桜流しに至る頃には、最早曲の好き嫌いは別にして新劇版は宇多田でないと、という空気が出来上がっていたのだ。確かに、EVAQの出来に不満を持つ層が一定数居る事も事実だし、宇多田ファンも桜流しはピンとこない人が多いのだが、それが主流派というか、大勢を決めるスケールにまで届かない。これはステイタスという奴なのか、それともヒカルのEVAへの理解度が浸透している結果なのか。或いはその両方かな。
シン・エヴァは、だから、勝負作になるだろう。こうやって燻る空気が膨張するか収縮するか。見事破裂させて雲散霧消となるか。ブランドだけでは通用しないが、なんだか庵野&宇多田がハズす所が想像できない。既に勝負は決まっている気がする。後は見届けるだけだ。
となると問題はそれがいつになるのか、という事だが運命の歯車はこの件に関しては総て味方してくれるだろう。即ち、両者ともそれぞれの理由で、うまい具合に遅れてるんじゃないかな。もう一度両者のシンクロ率が400%に達した時、皆を圧倒する新曲と新作が出来上がるだろう。私の興味はもう、その新曲とその新作のどちらが凄いかという"身内勝負"の行方に注がれそうな気がする。その意味での、頂上決戦となるだろう。来年か再来年か。鬼たちを大爆笑させるに十分な戯言だなこれは。