無意識日記々

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延々37個か38個か論じ続ける不毛

面倒臭いと何度も何度も言いながら、そして、これからも言いながらもタバコの話題を取り上げるのは、兎に角異質な話題だからである。繰り返しに繰り返すが、ヒカルがファンを幻滅させる行動・言動が他にないのである。そして私は幻滅していない。

私がWebで読んだのはほんの数人の意見だが、この件がかなり広範に"スキャンダル"として捉えられているであろうと推測できるのは、その掲載誌での取り上げ方だ。わざわざ巻頭グラビアに、他の写真よりも解像度が低い即ちグラビアに相応しくないにも関わらず、その写真を持ってきたからには、編集部が「これはスキャンダルになる」と考えたからだ。こういった嗅覚は、鋭いのだ彼らは。まさにそのセンスにおけるプロなのだから。事実、何人かのファンが事態を重く受け止めた。掲載誌からすればしてやったりである。嗚呼、面倒臭い。

これが、宇多田ヒカルというのが重要である。もし椎名林檎が同じポーズで喫煙していたとしても誰も巻頭グラビアに掲載しないだろう。彼女は最初っから紫煙にまみれたイメージなのだ、実際の喫煙してるかどうかに関わらず。つまり、世間的には宇多田ヒカルは優等生で、タバコなんて吸ってるイメージがない。2ちゃんねるのスレも「宇多田ヒカルがグレた」という言い方をしている。中高生なら兎も角三十路の酒豪バツイチ女が煙草くわえてたからってそれが何やねん、なのだが、宇多田ヒカルは別なのだ。

酒井法子が薬物禍で騒動になったのは、彼女にそういうイメージがなかったからだ。犯罪かどうか、健康に影響があるかどうかよりもまず、「その人にそうであって欲しくなかった」という感情が来ている。それが良い悪いではなく、そういう状況なのだという事を確認しているだけだ。果てしなく面倒だが。

そうなると、ヒカル本人はどう思っているかという話になるのだが、これがよくわからない。その、ファンのみならず世間一般の、タバコに対する潔癖志向と、宇多田ヒカルに対する優等生イメージの両方を、どう捉えているのか。もしかしたら、喫煙に対する感覚が遅れているんじゃないかという気がしなくもないのだ。この30年で日本における喫煙環境は激変した。ここまで変わるかという位に、文化が入れ替わったと言っていい。そもそも昔は嫌煙という発想自体がなかった。今や、それが主流だと言っていい。公共の場での全面禁煙も珍しくない。流石にやりすぎなのでは…と、タバコと無縁な私が思ったりする。ちょっと魔女狩りに近い雰囲気すらある。それが、今の若い子たちにとっては当たり前の光景なのである。喫煙者は社会の片隅に追いやられて煙に取り囲まれているのだ。

ただ、ミュージシャンたちは、そんなことはないだろう。みんな普通にタバコを吸っていそうだ。そんな環境でずっと育ってきたから、ヒカルの"常識"が麻痺しているのかもしれない。いや、勿論、大前提としてプライベートを隠し撮りするカメラの存在が悪いのだし、そんな所まで気をつける必要はないかもしれないが、しかし、ここで非喫煙者からの素朴な疑問が出てきてしまう。「そんなにまでしてタバコ吸いたいもんなの?」

この感覚が、わからないのだ。ヒカルの常識が壊れていないのであれば、人前で喫煙しないようにする気がするんだが、私の考え方はおかしいだろうか。自由に買い物やデートに行きたい、というのであれば行けばいい。盗撮はやっぱりけしからんが、たとえそれがスクープされてもスキャンダルにはならない。しかし、喫煙はそのまんまスキャンダルになる。そのリスクをおかしてまで喫煙には何かメリットがあるのか…この続きは、もう面倒なんだが、まだ精神力が残っていれば次回のエントリーで。