無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

嫌がり嫌がられながらも引っ張る

大丈夫大丈夫、こんなBlogチョーコアな、しかも偏ったファンしか読んでないから。拡散源になりようがないよ。だからって拡散に加担したい訳でもなく。なのでここで取り上げるか否か暫く考えた末に、やっぱり書いておくかとなったのだ。なので、あんまり積極的ではない。どちらかというと義務感に近い。

そんななので、私自身どういうスタンスで書けばいいのか全く定まらない。「そんなの本人の自由」と言ってそれまでにするか、反対派の意見を斟酌するか。元々どっちでもいいので定まらなくて当たり前なんだが。

本来なら。宇多田ヒカル原理主義者とすれば、ヒカルのやりたいようにやらせろ世間が何と言おうと気にするな寧ろそんな事を言う世間が間違っている、と言い切ってしまうのが正しい。他の話題ならそうしてきただろう。実際にそうしてきていると思うし。

しかし、この問題に関しては「自由にすれば」と言ってる人の大半は、「法律で許されてるんだから」というのが主な理由だ。もしこれがマリファナだったら、少なくとも日本ではしょっぴかれる。当たり前じゃん、と言われればその通りなんだが、この国は法律より空気が勝つ国なのだ。

例えばこの国の原発は全国的に止まっているが、これは、よく言われるように"違法状態"である。政府に発電所を止める権限は(このケースの場合法律的には)ない。しかし、だからといってフル稼働させれば世論の猛烈な反発を買うのは目に見えている。とても無理だ。時に空気は法律を凌駕する。

喫煙に関しても、スケールはそれに較べれば随分小さいものの、似たような事が起こりつつある。嫌煙者の喫煙バッシングは、法律の枠を超えて自主規制、いやさ例の"他粛"圧力を生む結果となっている。ファシズムとまで言うと言い過ぎなのだがそんな風にまで言われる始末。それが小さな現状である。

私の本来のキャラなら、そんな"言われ無き"圧力に対して「何するものぞ」となるようなもんだが、さてその振り上げた拳の後ろにあるのは何なのだろうか、と考えるとちょっと力が入らなくなってくるのだ。それは、ヒカルの喫煙権なのか、それとも広範に、彼女の"自由"なのか、それとも彼女の人生における利得の最大化なのか。要は、そんなにまで力んで「これは守るべきだ」と唱えられるような問題なのか、という感情にとらわれる。タバコの嫌われぶりに対して、何か弱いというか。原発に関してはエネルギー問題という事で双方に切実な言い分はあるが、タバコの場合私からすれば「たかがタバコで…」という萎える気持ちを核にしているので、珍しくヒカルに向かって「あんたがタバコをやめれば全部解決するんだけど」と言いたくなったりしている訳だ。週刊誌で取り上げられたのはきっかけに過ぎない。ファンにも浸透する世間の嫌煙の空気に対して喫煙者がどう向き合うか、という昨今のポピュラーなイシューに関して宇多田ヒカルはどうするべきか
という問題提起なのである。あぁ疲れる。(ホントな)