無意識日記々

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青いフルーツから甘いお菓子へと

Single Collection Vol.2の5曲を聴いていると、「熟れ落ちる二歩手前」という感じがいつもする。葉や茎からも養分を吸い取って熟しに熟した実…もう足元から枯れ始めていて、最後は熟しきった実を落として…

…とイメージで語っているが、案外具体的な話である。Can't Wait 'Til ChristmasにしろGondbye Happinessにしろ、サビのメロディーはこれ以上にない位強いのだが、ヴァースのメロディーはいずれも物足りない。GBHに関してはHikaruも「メロディーと歌詞が合わなかった」という風な言い方をしている。(Show Me Loveはあんまりそんな事はないが、こちらは曲自体が他の4曲に較べて古い。) この、“メロディー配置のプロポーションのアンバランス”が、熟した実と枯れた茎のイメージに繋がっている。

これを、DEEP RIVERの頃と比較してみる。特にtraveling等で顕著だが、イントロからAメロBメロサビに至るまで、メロディーのテンションが一定して落ちない。その為、楽曲中ずっとテンションが張り詰めていて、その意味において曲の印象が"ハード"な感じがする。その感触が、否応無しにまるでそれが青い果実のような…まだ色づかず、堅く引き締まっていて、葉も茎もまだ青々と元気一杯で、全体として活力に満ちた風貌を連想させる。

この、時間を経て熟れた実と、若々しく青く実った果実の対比は、物事が突き詰められていく中で立ち現れる普遍的な対比であるように思われる。それが楽曲中のメロディーのプロポーションのバランスと即対応している、と考えるのはやや直接的に過ぎると自分でも思うのだが、そのシンコレ2のタイミングでアーティスト活動を休止した事実が、「実りすぎて腐り落ちる前に一旦退こう」という判断をしたと裏付けられてしまうので、そう捉えてしまうのを止める事が出来ない。やっぱりそうなんだろうなぁ、と思ってしまうもの。

そう考えると、一年前にリリースされた"桜流し"はどういう位置付けなのか。メロディーのテンションという面では、あまり落差が感じられない。代わりに曲展開は極端にダイナミックだが。そもそもAメロBメロサビって構成じゃないし。しかし、少なくとも、あの"熟れ落ちる二歩手前"という感じはなくなった。しかし、熟して得た味の深み、コクは一切失っていない。寧ろ過去最高と言っていい。それでいて硬質さ、青いというべきかはわからないが、全体的に緊張感が漲っている風はそれこそtraveling等を想起させる。

つまり、今のHikaruは実った果実の収穫を終え、これからそれをどうやって…例えば"美味しいワイン"として纏め上げるのか、という段階に入ってきているのかもしれない。それが、桜流しにみられるコクのある味わいと張り詰めた緊張感の同居を呼んでいるのかもしれない。だとすると、確かに本当の"人間としての"勝負はこれからだ。大地の実りを収穫して、如何に完成度の高い味に仕上げるか。30代の勝負の要はその辺りに転がっているような気がする。