無意識日記々

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かんかくてきにちょうどいい

ヒカルの歌唱力はこのジャンル(アレサ・フランクリンやらメアリーJ.ブライジやら)における日本人女性としては依然No.1である。15年も経ったのだからもっと歌がうまいヤツが出てきてもいいようなものだが、ヒカルよりデカい声が出るとか高い声が出るとか音程が正確だとか安定しているとかそんなヤツらは幾らか出てきたが、ヒカルより歌えるヤツは1人もいない。声が出るのと歌えるのは違うのだ、とまずプロデューサーの方が理解しなきゃいけないのだが、まぁもう一世代まわるのを待つかな。

そんなヒカルも、Utada Hikaruとして英語圏のシンガーを名乗るとすると、途端に有象無象というか烏合の衆というか、そこまでいかなくてもone of themになってしまう。元々英語圏で生まれた歌唱法なのだし、肉体的な適性も含めて彼らが有利に決まっているのだが、Hikaruよりうまいシンガー、歌える歌手というのはそれこそ幾らでも居る。ほんに凄いもんだわ。

ただ。それを嘆く気には実はまるでなれない。というのは、Hikaruよりうまい、歌えるシンガーというには、メロディーを伝えるにはうますぎるのである。どういうことかというと、一曲聴き終わった時の感想がその歌唱力の話ばかりになってしまい、肝心の曲が、メロディーが殆ど心に残らないのである。

私はソウル/R&Bに関しては門外漢なのでロックの話をすると、QUEENとの合体で有名になったポール・ロジャースはまさにそのタイプである。彼が歌うと全くメロディーが頭に残らず、節回しや、声の制御技術や、起伏の付け方や、そういったフェティッシュな感想しか語れないのだ。「歌がうますぎて曲を潰す」―そんなことが実際にあるのである。

Hikaruの歌のうまさはそこらへん絶妙の匙加減である。"Apple And Cinnamon"を聴いた時に誰もが「ますます歌に説得力が増した」と思ったのではないか(「くどくなった」でもいいけど)。しかし、この曲について語る時真っ先に思い浮かぶのはあの美しい美しいメロディーライン。それがあって次にその美しさを引き立てる成長著しいHikaruの歌声(当時はまだUtada名義だが)を称えるという順序となる。まず曲ありき、そのバランスが私には果てしなく心地いい。

更にあれから5年経っている訳で、今Hikaruが英語でこのテの歌を歌った時の歌唱力はいかばかりなのかというのは気になるところだが、極端にうまくなって歌を潰すところまではいかないだろう。ただのシンガーとしてではなく、ひとりのシンガー&コンポーザー、シンガー・ソングライターとして理想的なバランス。それが崩れるとは、崩そうとするとは思わない。絶妙のうまさ加減なのだあの歌は。

それも、幅広いジャンルを歌えるというのが凄い。EXODUS当時は21歳そこそこだというのに、ソウル、フォーク、ダンス、ポップ、コンテンポラリー、様式美に至るまで、どれでも一流の歌唱力をみせた。一体何だったんだあのアルバムは…と10年経った今でも思う。あまり時代と向き合っていなかっただけあって、今聴いても特に当時の音楽シーンが思い出されるとかそういう事もなく、ただひたすら10年前も今日も「いいアルバムだなぁ」と唸るだけである。こりゃ100年後もきっと同じだな。これだけの曲を揃えるだけでも大変なのにそれらを総て歌いきってまうとか何それ状態。ぶっちゃけそろそろ英語の作品も聴いてみたいものである。5年間隔でちょうどいいと思うんだけどな〜(チラッチラッw)。