無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

「やったーっ!」ヒカル、結婚オメデトウ

今回の吉報を受けて私が心の中で叫んだ第一声はこれだった。「ぃやったーっ!」 所謂一つの"手放しでの喜びよう"である。いやぁ、嬉しいねぇ。

不思議な事に、前回のような、鈍器で殴られたような衝撃的な驚愕はなかった。私にとってはその前日のメッセージの方が大きな意味を持っていたから、というのもあるが、本音を言えば、そう、結局私は「早よ結婚してくれ」と思っていたのだな。ふむ。

何という心の軽さ。「肩の荷が下りた」とはこの事か。こんなに気が楽になるだなんてね。覚えている人も少なくなったとは思うが、私がファンサイトに顔を出すようになったのはヒカルが結婚した後の事である。つまり、よく言われるような「結婚を機にファンを辞める」タイプとは真逆のスタンスの人間である。普段から人憚り無く臆面も衒いも躊躇いも無く「愛してる」と言い放つ人間としては、彼女が結婚してくれていた方が色々と"据わりがいい"のだ。漸く、ポジションが正常化した気がする。ファン活動にも肩の力を抜いて且つ身が入るってなもんである。

全く"複雑な感情"の類いがない。寂しさや、ましてや裏切られたなんて気持ちもある筈もない。ただただ両手をあげて祝福である。「やったーっ!」―実に私らしい、無邪気で何も考えていない素直な反応だ。


さて。その祝福の感情に絶対の自信があるからこそ、このおめでたい日にネガティヴな事を幾つか書こうと思う。さほど驚きが無かった分、早速随分冷静である。狼狽えるなんて遠い国の出来事だ。ここも迷いなく書き下していこう。


「まず、時期・タイミングに不安がある。どうやら、リークされてしまう前にという些か"不本意な"日にちでの発表になってしまったようだが、それにしても、お母さんが亡くなられて5ヶ月だ。いや、喪中がどうのなんて野暮な話じゃない。前回の結婚が、ヒカルが体調不良で倒れたおよそ4ヶ月後に発表された(ってか前回は9月6日に入籍したんだっけかね)事を思い出したのだ。つまり、浅はかな類推だと自分でもわかっているが、心身が衰弱した時期に心細くなってその時お付き合いしている人と結婚したくなったパティーンなんじゃないの、という推理が頭の中を過ぎった訳なのよ。」

で、それには私なりに反論したい。そんな過程やキッカケはどうでもいい。兎に角結婚した結果、ヒカルが以前より幸せになればいいのである。理由なんて些細な事なのだ。


「もう一個ネガティヴな事を書いておく。これでまた、お母さんとよく似た人生を歩む事になるやもしれない。懐妊と出産がやがてやってくれば、圭子さんがヒカルを生んだのと似たような年齢でヒカルも子を生む事になる、かもしれない。運命の歯車である。」


またまた何を言ってるんだコイツは。今回ヒカルは全くの一般人、それもイタリア人と結婚した。同じ日本人、同じミュージシャンである照實さんと結婚した圭子さんとはまるで違う。それを言ったら圭子さんの初婚は歌手の人が相手で、ヒカルは写真家だ。てんで話にならないぜ。寧ろヒカルは着実にお母さんとは違う人生の道を歩み始めたといえる。それを素直に応援しようぜ。

「いや、それも懸念の一点だ。果たして一般人が、ヒカルのような特殊なライフスタイルと馴染めるのだろうか。アーティストという人種のエキセントリシティに、彼女の図抜けた才能に、ついていけるだろうか。見えてる風景がまるで違う者同士が、果たしてうまくやっていけるだろうか? 収入観や住居観などが相互理解し合える事も、円満な結婚生活には不可欠だ。」

何言ってんの。その為の人間活動だった、って事じゃないの。この3年間の人間的成長を通じて、この人と人生を共に歩んでいけるという確信を手に入れた。これ以上素晴らしい事があるか。まさに人間活動の集大成がこの結婚だよ。


…なんか人形を使ってひとり遊びをしてる気分になってきたので(笑)、この辺で。ヒカルの子と同級生を生むなら躊躇ってる暇はないかもしれませんよ世の奥様方お母様方! 頑張って子作り子育てに励んでくださいな。ヒカルと同じ時期に同じように悩んで、同じように成長していく…コアなファンにとって、大きな人生の意義となるでしょう―って王室や皇室じゃないんだから、ねぇ?(笑)