無意識日記々

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「嫉妬」が『わからない』人

文字起こしされてると取り上げやすくて良いね。

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■宇多田さんが嫉妬する人は?

いない。

TJO:ありがとうございます。嫉妬する人は、いないんですね。

宇多田:いないというか、「嫉妬する」感覚がわからないんです。だって、他の人がどんなつらい思いをしているかなんて、自分にはわからないから。誰かになりたいなんて思えない。みんな、つらい部分は見せないじゃないですか。あと、人と比べてもしょうがないし。何に嫉妬するのか、意味自体がよくわからないです。

https://block.fm/news/utada_taku_talk

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嫉妬について、だね。宇多田リスナーなら少し意地悪くこうツッコみたくなったのではないかな、

「じゃあ『嫉妬されるべき人生』って歌はどんな気分で書いたの!?」

と。これはヒカルの言い方が悪いわね。インタビューだから尺短く簡潔に答えたいのはわかるけど『「嫉妬する」感覚がわからない』は端折り過ぎだ。雑い。

これは、「普段の生活で嫉妬を感じることがない」という意味だわね。ってそんなのわかりきってるよって私が読者に言われそうだけど、当たり前のことを文字にすると論理が使えるのよ。ここの続きが上述の通り『他の人がどんなつらい思いをしているかなんて、自分にはわからない』な訳で。これを組み合わせると

「他の人のことがわかると思い込んでる傲慢な人が嫉妬をする」

というメッセージになってるんですよ。勿論、ヒカルはそんなあからさまな言い方をしてないけれど。

これと、この間の渾身のツイートを組み合わせましょう。

『人が何を感じてどんな思いでいたか、行動の動機やその正当さなんて、本人以外にはわからない。わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。「理解できないと受け入れられない」は勘違い(-略-)で、「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。』

https://twitter.com/utadahikaru/status/1693764006010671423

ヒカルは後悔や罪悪感で、どうにかお母さんの心情を理解しようとしてたけど、いやこれは私のエゴなのだなという結論に達した。そう、一時期か一瞬かはわからないが、ことお母さんについてならヒカルは「他の人のことがわかると思い込んでる傲慢な人」になった、或いはなりかけたのだ。

これらを合わせると、

宇多田ヒカルが唯一嫉妬するかもしれない人物は母・藤圭子

という結論に達するが、この間の『まつもtoなかい』でもみられたように(まだ見逃し配信やってるからね!)、ヒカルは自分の歌を差し置いて藤圭子が絶賛された時にメチャメチャ素直に喜ぶ。これはシンプルに、本人の実感として、まだ藤圭子に嫉妬できる歌手になれていないのだろう。彼女の神髄を理解できる所にまで達していないから嫉妬ができない。例えしたいと思ったとしても、ね。もし嫉妬できるようになったなら、それは藤圭子のことを理解できると思えてきた段階からだろう。それが勘違いであれ本物の理解であれ何であれ、ね。

ここで『嫉妬されるべき人生』というタイトルに立ち返る。何故このタイトルが面白かったか。嫉妬とは「いつの間にかしている」或いは「したくなくてもしてしまう」事だというのが通常の認識だからだ。規範や常識、価値判断として、嫉妬してない人間を捕まえて「あれに対しては嫉妬するべきだ!」と主張するのは、余りにも滑稽だからなのよ。そこを敢えての「べき」だからこのタイトルは面白い。嫉妬は本来望ましいことではないのに、「べき」と強調して望むのだから!

普段嫉妬をしないヒカルだからこそ、そして、まだ藤圭子に嫉妬できない段階だからこそ、自ら『嫉妬されるべき』という形容を選んで使うことに意味がある。もっと言えば、上記のような「傲慢な段階(エゴ)」を通過したから、この歌が歌えたのだ。それを振り返って、お母さんの写真を飾れる所まで来たから、嫉妬しないヒカルが「嫉妬するべき」人生について語り、それを更に一般化した『嫉妬されるべき』という形容に辿り着けた。なるほど、ならば、寧ろこんなに「嫉妬」に対して理解と造詣が深い人が他に居るのかと私は言いたい。だからヒカルの「わからない」は、80歳くらいの人間国宝と呼ばれる達人が「芸能や芸術の道は果てしなく、まだまだわからないことだらけ」とか言っているのに近い。嫉妬について深く理解してるからこその「わからない」なのだ。そこは勘違いしないで欲しい…と、わかった風な口を叩く私は勿論勘違いをしている傲慢なヤツなのでした、ちゃんちゃん。