無意識日記々

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ホニャララ・クライスト・スーパー・スター

ツイートとチャットのまとめ。Hikaruはそんなにキリスト教的世界観に共感していない。あクマで部分々々の話で、気に入ってる所もあればそうでない所もある、という話なんだけれど。

ヒカルが1stアルバムを作っている時にプロデューサーから「アダムとイブ」即ち聖書の創世記に出てくる2人を題材にした歌を作ってみるのはどうかと提案された時、その2人の物語には共感出来ないとしてボニー&クライドの歌を作った。それがB&Cである。

You Make Me Want To Be A Man のPVをキリヤンと作った時。これはUtadaの英欧デビューに合わせて制作されたものだが、その内容は、そのアダムとイブの物語を女性主体にして作り替えるという大胆なものだった。一言でいえば反・創世記。原理的なキリスト教徒が見た時の意見を訊いてみたいところだが、そもそも見せちゃいけない気がする。詳しい話は「You Make Me Want To Be A Man のPV」でググれば一万字のエントリーが出迎えてくれるからそちらを参照の事。

「愛のアンセム」の日本語詞の部分。大体は元々のフランス語歌詞と内容的には同じなのだが、最後の部分だけやや書き換えてある。原詞では要約すれば「死んでも2人は天国で永遠に結ばれる」という風に歌を結んでいるのだが、ヒカルはここを「生まれ変わっても」と仏教的輪廻転生の世界観に持ち込んでいる。キリスト教の世界観では人間と他の生物をハッキリと断絶させるという立場から、生まれ変わりの世界観は教義と相容れないらしい。ホンマかいな。進化論が信じられていないという話もそこらへんから来ているんだろうけれど。

斯様に、幾つかの点でキリスト教の教義から離れた、人によってはアンチ・クライストともとりかねない考え方を披露してきたHikaruが今度結婚する相手がどうやら敬虔なクリスチャンだという事で、現在やや戸惑っている。例のメッセージでフランチェスコくんは英語でいうところの「The Lord」について言及していた。恐らくHikaruによる日本語訳では「神」と訳されている部分だ。しかし本来ならこれは、キリスト教の習慣に則って「主(しゅ)」と訳すべき部分である。果たしてこれは、キリスト教に馴染みのない我々一般の無宗教な日本人に配慮したものなのか、それともさほどこだわりがないのか、敢えて主という表現を避けたのかは現時点ではわからない。取り敢えずはカトリックの教義に則った結婚式を挙げるというのなら、少なくともその時までは、穏便に事が進むように願うばかりである。