無意識日記々

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アンチクライストスーパースター久々の再降臨

昨日の2つの日記は一体何なんだか。自分の週末といえば『ぼくはくま』を聴き直して「やっぱり名曲だなぁ」と浸ったり、「歌詞が日本語とフランス語で構成されてて輪廻転生を歌ってる(『ゼンセはきっと』『生まれ変わっても)という点で、『ぼくはくま』と『愛のアンセムは同じ世界観を構築してるんだな〜曲調も歌い方もまるで別なのに、作者はやっぱり同じな訳だ」と前にも思っていた事を反芻してみたり、「…やっぱりヒカルの喋り声はいいな…」と相変わらずの声フェチぶりを発揮したりしていたのに、なぜあんな話題に。他にやってた事といえば百合漫画を読み漁ったり、卓球世界選手権個人戦の情報を収集したり…そういう話題に触れた方がよっぽど私らしいのに。まいっか。

『愛のアンセム』で思い出したが、『Single Collection Vol.2』での新規収録楽曲って歌詞に「反キリスト教的思想」が埋め込まれてる、って話したっけ? したような気がするが検索も面倒なので、先週の「踊場」の話の続きもあるし、一回復習しておくか。

『Goodbye Happiness』のテーマは、非常にキリスト教的な、「楽園追放」の物語だ。アダムとイブが知恵の実たる林檎を食べて、それまで無垢に暮らしてきたのが恥じらいを知り知性を身に付け神の逆鱗に触れ楽園を追放される、というのが主な筋らしい(そういや俺原典(の訳)を読んだ事ないからな…全然間違ってる可能性もあるのか…)。『Goodbye Happiness』には林檎の代わりに『甘いお菓子』、無垢や無邪気の象徴として『白いワンピース』云々(いや寧ろその"云々"の方が大事なんだけど)が出てくる。で、何が違うって最後に楽園追放を全肯定する点だ。『も一度 Kiss Me』…ってここだけ書くとリンドバーグ臭が漂ってくるな…(余計なお世話だ)。

キリスト教では、なんだっけ、厳しい現世に落とされた人類はひたすら神に祈って最後の審判で天国へ召される事を望む事になっているのだが、ヒカルはそこには目もくれず、生まれ変わったらもう一度この人生を歩みたいと思うほど今の人生を気に入っていると歌う。生まれ変わりを歌う時点で最後の審判を強調するキリスト教的思想に真っ向から対立するのだが、『愛のアンセム』では原曲で天国に召される話をわざわざ自力で改ざんしてまで生まれ変わりにこだわる。ゼンセはきっとチョコレートなのである。(意味不明だなぁ)

そして『Can't Wait 'Til Chrirtmas』は言わずとしれた「クリスマスが(楽しみ過ぎて)待ち切れない」と「クリスマスなんて特別な日でも何でもないんだからそれまで待たせんな。今すぐ愛し合え」のダブル・ミーニングを持つ歌だ。「クリスマスなんて特別な日でも何でもない」というのはまさにキリスト教に喧嘩を売るようなものなのだ。一応社会通念上クリスマスは「イエス・キリストの誕生日」って事になっているからの。この正面突破ぶりは、ある意味いちばん危険である。

なぜ当時こんな歌詞を書きたくなっていたかはよくわからない。今や敬虔なカソリックの家庭に嫁入りした事になっている。いや婿とったのかもわからんけど、旦那やその家族はこういった歌詞を御存知なのだろうか。一度感想を伺ってみたいものである。…いや、そんな機会も手段も気力も何も一切ないのだけれどなっ(笑)。