無意識日記々

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インタービュー

昨年12月21日土曜日に、照實さんがヒカルとFace Timeでinterviewした、というのを読んで、その時に「日本語で言うインタビューじゃなくて、Face Timeで会話したから"面談"っていう意味で使ってはるんじゃないかな」みたいな事を呟いた記憶があるが、間違ってたな。ごめん。そう解釈したのは、照實さんがヒカルに"インタビュー"するなんて変だなぁと思ったからで、まさかそのインタビュー相手が照實さんじゃなくて宇野維正さんだったなんて。やられた。そういう事だったのか。

という訳で、FL15豪華盤の目玉のひとつ、その宇野さんによるヒカルとのFace Timeインタビュー2万字を早速読んだ。特に戸惑う所も見当たらない、いつものヒカルでしたとさ。終わり。

…でもいいんだけどそれじゃ素気ないのでもうちょっと。のっけから無意識がどうのと言われるとココの執筆者としては意識せざるを得ないが、そもそも"無意識日記"というフレーズは光が生み出したもので、私はそれを拝借しているに過ぎない。どぎまぎまどまぎする(惑い紛れる、の略だぜ後半は)のは自意識過剰というものだ。彼女が無意識と言うのに特に意味なんかない。

そういえば私の豪華盤のシリアル・ナンバーは00130だった。ひっくり返って00310だったら、とかあと-11で00119だったな、とか色々考えた。何かいい語呂合わせはないか、何かピンと来る意味付けは出来ないかと思ってふと気が付いた。130って「意味ゼロ」って読めるなと。なるほど、この番号に意味なんてないんですね。納得しました。01374番の人が居たら連絡ください。「意味無し」ってよりスマートで素晴らしいので。

いつものヒカルのインタビュー。あんまり特別な感じはしない。をっ、と驚くような事もあり、あら意外、と思う事、その発想はなかったわ、と思わされる事、こちらの思っていた通りだったり、案外そうでもなかったり。読者として、この人の事をよく知っている気分になったり、この人の事やっぱりよくわかってないのかなぁと思ったり。いつも、ヒカルのインタビューを読んでいて思う事ばかりだ。この人は変わらんなぁ。

…と言いたくなるんだが、甘酔のヒカルと熊淡のヒカルでは明らかに違う。かといって「変わってしまった」という感じでもない。結局、いつも言っているように、四次元的実体であるヒカルを三次元で輪切りにして順番に見て行ってるだけなのだ。だから、16歳の時の輪切りと31歳の時の輪切りでは、部位が違うから切り口の形状が異なっているのは当然で、しかしやはりそれがひとつの実体である事に何ら変わりはない。そういう意味に於いて、この人は超越的である事と世俗的である事を兼ね備えている。重厚な装丁に囲まれながら「まだこれの話ツイートしてないし」と笑って呟く姿は、何だろう、1万5000円払ってよかったよホント。そう思う。