無意識日記々

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同じ位相、進んだ場所

さて、気分としては今日から新年度。笑っていいともは今日で終わるんだっけ? タモリさん、長い間お疲れ様でした。

どんな番組もそうかもしれないが、最初はこの番組が32年だかという長寿番組になるだなんて思いもよらなかった。前番組のタイトルが「笑ってる場合ですよ」で次が「笑っていいとも」。作ってる方も半年もてばいい、くらいのテンションだったんじゃないか。それをここまで持ってきたタモリは本当に凄い。

継続は力なり。どれだけ最初くだらないと思われていようが、最終的に生き残れればこうやって賞賛を集める。いやそればっかりがいい訳じゃない。原節子山口百恵のように、スパッと辞めて一切姿を現さないのもそれはそれでひとつの生き方だ。宇多田ヒカルは、これからどうするのか。

こういう、過去を振り返る企画が出てくるというのはベテランミュージシャンの宿命である。年月を重ねれば重ねるほど、ライバルとは同世代のミュージシャン以上に、過去の自分の業績となる。ファンの方も、年月を重ねれば重ねるほど、昔はよかったと繰り返し、過去の名曲に固執していく。ずっと現役感を出して新曲で勝負し続けるのは至難の業だ。

一方で、過去を振り返る事で今現在の創造性を触発する事もある。Hikaruが今回どれ位自分の音源を振り返ったかは定かではないが、Demo音源の選定を通して、今までの15年間でどれだけ自分が成長したのか、そして、それと共に失ってしまったものはあったのかなかったのか、あったとすればそれは何だったのか、頭の片隅にでも、そういった論点が浮かんだのではないか、そんな風にも思うのだ。完成品ですら普段振り返る事が少ないHikaruなので、作りかけのトラックを振り返るだなんてもっとレアな事だろう。こういう企画でもなければ、一生封印していたかもしれない。つまり、こういうのは、ファンにとって意義があるのみならず、ミュージシャンにとっても創作上の転機になり得る。

具体的にそれはどういう効果をもたらすのか―それこそ、次の新曲が出来上がるまではわからない。本人ですら、作ってみて初めて影響が出ていた事に気がつくかもしれない。まるで「テイク5」の最後の歌詞が「今日という日を素直に生きたい」と書いた事で自分が「生きたい」んだと気が付いた時のヒカルのように、出来上がってから眺めてみて気がつく事も、多いのだ。

その視点に立ってみると、過去の自分の音楽というのは、他者の作った音楽と何等変わりなく、同じように聴いた今の自分に影響を及ぼすものなのだともいえる。熊淡でAutomaticをかけて昔を振り返った時のように、他のアーティストの曲と並べて並列に列んで味わうものになりつつある。過去の自分の楽曲というのは、殆ど他人の作ったもののような、それでもやっぱり今の自分の一部のような、不思議な間隔に陥るものだ。この振り返り企画が軌道に乗って以降の名盤たちも再発される事になれば、Hikaruのキャリアはまるで螺旋を描くかのように前に進んでいく事になるだろう。楽しみですな。