無意識日記々

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ギターパートにももう1度チャンスを頂戴

昨夜ヒカルがCharを従えて(?)ミニー・リパートンのカバー"Lovin' You"を歌うYoutube音声をツイートで紹介したのだが、タイトルは福山雅治との共演になっていた。勘違いというのは幾らでもあるだろうが、どういう経緯を経たらこうなるのかには興味がなくもない。いやあんまりないかな。

多分福山雅治がこれを見つけたら「Charさんに失礼だから頼むから止めてくれ」と思うだろう。いやまぁ彼の外面的キャラクターからすれば笑い話に転化してくれそうだが。

斯様に、歌手と違って演奏家というのは一般的な知名度を得にくい。この理由は単純で、メディアで紹介する時に前面に出さないからである。要は習慣なのだ。バイオリニストだからといって葉加瀬太郎知名度が低い訳でもないし、上原ひろみ村治佳織も歌わないからといって無名かというとそんな事もない。

「歌と違って楽器の演奏はひとりひとり区別がつかないから」という反論も考えた。しかし、それも単に慣れの問題だ。世の中の人たち、どれだけ歌を聴いて宇多田ヒカル倉木麻衣の区別がつくかというと。私だってきっと同じ歌を同じように歌われたら心許ない。一方、ギタリストでもエディ・ヴァン・ヘイレンイングヴェイ・マルムスティーンを取り違える事は生涯忘れないだろう。お昼に何を食べたか思い出せなくなっていてもこれは間違えない。これも慣れの問題で、ギターも沢山聴いていれば区別は自然とついてくる。AKB48の歌でどこを誰が歌っているかなんてファンからすれば「何を今更」なんだろうが、私は全然区別がつかない。そんなもんだ。

Luv Liveでは、今剛がギターを弾いている。この頃既に素晴らしいプレイを聴かせてくれているが、「そんなもん違いなんてわからん」という人が大半だろう。慌てる事はない。これだけ幾つかライブバージョンが揃ってくれば、同じ曲の違うバージョンを、ギターに注目して聴く事で「あそことここが違ってたような」といった事が朧気ながら見えてくる。もうそれで十分である。

ヒカルの歌に関して、細かい違いに気がつくのは、それだけスタジオバージョンを彼女の歌に注目して聴き込んでいるからだ。ならば、ギターに注目して何度か聴き比べてみれば色々とみえてくるのは道理である。いちばんの問題は、そうやって何度も聴き返す為のモチベーションなのだが、最終的にはギターのアドリブとヴォーカルのアドリブに関係性がある、なんて事になるとわかったらどうだろう。次のAnother Chanceではそこらへんに突っ込んでいけたらなと。他の曲になるかもしれないけれど。