無意識日記々

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中休み : LuvLiveの歓声について

何で照實さんが小某方さんの話してんだ。あたしゃどれ位彼女の標高が高かったか位にしか興味がないというのに。(割とマジで)

まぁそれは置いといて。前から再三再四指摘しているLuv Liveの歓声の話。まぁ誰も反論して来ないから断言してしまうと、あれは完全に水増しされている。そもそも、Zepp Tokyoではあんな風に響かない。何故あんな不自然な音にしたのか。

いや、事情はわかるんだ。宇多田ヒカルの名の許に某かをリリースする際に考えなければならないのは、彼女がとても大きな市場で薄く広く愛されている"Pop Musician"である事だ。X JAPANのように狂信的且つ忠誠心溢れるファンが大量についている訳ではない。何というか、「他の人たちのは何か怖いんだけど、宇多田だったらCD買ってみてもいいかな/コンサートに行けるんなら行ってみたいな」という位のファンがメインなのである。

そういう人たちは、素朴で純真だ。よく言えば、疑うような事は発想からしてない。「歓声を水増ししている」なんて、そんな着眼点もない。せいぜい、「おお、Automaticは反応がいいな。Hikkiもそう言ってるし。」どまりだろう。裏を返せば、もし歓声を水増ししていなければ、当時の事情を斟酌する事もなく「なんか盛り上がりに欠けるコンサートだな〜」と思ってしまうに違いない。

事情というのは、我々にとっては周知の事実。つまり、まだデビューしたてで、まともなコンサート経験もなければインディーズで培ったファンベースがある訳でもない16歳の女の子を、大量の"関係者"や"招待者"や"当選者"が「どれどれ、どんなものかな。」と"試しに"観に来ているだけなのだ。盛り上がる筈がない。2700人の中に、全曲のタイトル(まぁブギーバッグはともかくとしてもな)を言える人が何人居た事か、というレベルだろう。でも、デビュー記念のショウケースなんて元来そんなものであって、そんなものは大抵商品化されない。事実、15年間されてこなかったのだ。我々がこれを観れているだけで奇跡なのだ。その感謝の気持ちが消える事はない。

従って、そういうライトなファン層と、デビューショウケースの商品化という希有な板挟みの中で生まれたのが歓声の水増しなのである。誰がそれを責められようか。ライトなファンに「いや、このギグはショウケースでね、そもそも…え、ギグって何かって?ショウケースと言われてもわからない?あ〜それはですね…」と1人々々説明して回るか、歓声を水増ししてそそくさと納得してもらうかの2択を迫られたらもう仕方ないじゃん。ねぇ。


そんなだから、今更言っても仕方ないんだけど、4000円盤と15000円盤でLuv Liveのミックスを変えておいてもよかったかな、とも思う。4000円盤はライトなファンが買うだろうから歓声を水増ししておく。一方、15000円払うようなバカどもはコアファンが主体だろうから無加工の歓声、或いは、もう観客の音声ごっそり削ったヤツでもいいや、そういうミックスにしておく。そうすれば、それぞれの層のニーズに応えられたのではないだろうか。今更言っても仕方のない事だけども。そうすれば「両方買う」って人が…別に増えないか。ミックスが同じだろうが違っていようが、既に両方買う人は両方買ってそうだもんな。すいません。


でもやっぱり、観客の反応も含めたものこそが"ライブ・アルバム"だと思っている私のような人間からすれば、本音を言わせてもらえれば、「余計な事しやがって」となるのよね。実況録音盤の臨場感。それこそが醍醐味なのだから。In The Fleshは本当にあんな感じだったと思います。私ゃニューヨークにもロンドンにも、行ってないけどね。10年経って、水増しなんか要らないライブが出来るようになったのですよ。嗚呼、それが感慨深いのに。ね。