無意識日記々

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でもね

今朝の照實さんのツイートも興味深いな。またか、と言われそうだけれども。FL15の音質を「道半ば」と表現している。これは、今後の音質向上の確約ともいえる。マスター音源次第とはいえ、今後はどの作品もFirst Love以降の、予算の潤沢な中で作られたものばかりになるから、確約というか確認に近いけれど、制作サイドにその意識があるのを知れたのは大きい。

いや、音質の話は長くなるからここで切り上げとこう。まだまだこれからFL15について語る事は多い。

そもそも、First Loveアルバム自体、この日記で触れる機会が少なかった。リアルタイムでない、というのもあるし、私自身、そんなに思い入れのない作品な為、そこまで力を入れる事もないなと。何より、いちばん有名な作品だし、当時最も食いつかれた音楽なので、語られる事は語られているだろう、という風にみていた事もある。いずれにせよ随分"蔑ろにされてきた"のは否めない。

しかし、この15周年記念盤のお蔭で、作品自体を振り返れるチャンスが来たかな、という風に思っている。実際、Luv Liveと並行してGive Me A Reasonの歌詞について語り始めているし、Luv Liveの"ライブバージョンぶり"を聞き分けるプロセスは、そのままスタジオバージョンを改めて聴き直すプロセスに成った。そういう距離感で聴いてみると、なるほど興味深い作品だなと気づかされてゆく。作品自体の基本的な評価は変わらないのだけれど。


キャリアの長いアーティストは、どこからかで過去を振り返るターンに突入する。「アルバム発売20周年を記念してあの名盤をライブで完全再現」、なんてのは多すぎてニュースを耳にする度に「またか」と思ってしまう程だが、宇多田ヒカルもそういうフェーズに入ってきたとは感慨深い。まだ31歳なんだけどな。

こうなってくると、新たなライバルが出現する。言うまでもなく過去の自分である。今までも前作や前々作の出来映えは新作を作る上でのプレッシャーになってきていただろうが、このようにオフィシャル・リリースでカタチにされてしまうと、まるで別人というか、自分じゃないみたいな感覚も入り込んでくる。インタビューでみせているヒカルのこの作品に対する"距離感"みたいなものは、ここから来ているように思う。作りかけのデモ・バージョンだなんてもの、ほんの数年前なら果たして発表していただろうか。Passionの没歌詞でさえレアだったというのに。

デモ・バージョンを"今聴く"という行為は、その距離感を前提としている。歴史になったから、落書きのようなノートの走り書きにも価値が出てくる。なので、そのクォリティーがどうのというより、勢い「歴史的価値」に目が向いているように思う。その点Fl15豪華盤のB-side Tracks Discは、純粋にコアなファン向けであり、通常盤に収録されなかったのもむべなるかな、である。これからその作品について語ろうと思うが、実は私まだ一度も聴いていない。この連載にあたって、出来るだけフレッシュな文体で感想を書き留めておきたいと思ったからだ。既に堪能している読者諸氏におきましては、暫しの間の"優越感"を以て、当日記にお付き合いうただきたい所存です。次回からかどうかは、わからないけれども。