無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"Utada is not (baptized)"

昨日気になってイタリアの地元の新聞紙の記事と思しきページを検索して翻訳して読んでみたのだが、二紙にしっかり「結婚の儀式は洗礼者と非洗礼者両方に半々ずつ行われた」と書いてあり、「Utadaは非洗礼者」と明記してあった。英語にすると「Utada is not (baptized)」と紛れのない書き方になっているので、これを誤訳するのは難しい。日本語の記事の書き手が一紙だけにしか目を通さないというのも考えづらいし、向こうの一紙だけがHikaruがカトリック教徒になったと誤報するのも無理がある。どうやって式次第がそんなにすぐに外部に漏れたのかは謎だが、手続き自体は通常のものなので担当した神父に訊けば答えてくれるだろう。参加者は兎も角、彼を口止めする事は出来そうもないし。

で、三紙程に目を通してみたが、そのいずれもが式の厳戒体制について取り上げてはいるものの、何ら非難めいた記述は見当たらなかった。各国のVIPが来賓として招かれた際に新聞に書かれるような調子、といったら伝わるだろうか。ニュアンスとしては(と言ってもイタリア語を英語に訳して読んでいるのでどこまで細かなタッチが理解出来ているかというと心許ないが)、そんなのどかな田舎町(なんだろうな)で厳重警備が現れる物珍しさに焦点が当たってる感じ。普通に読者として接した人に「この日本人の歌手の事は知らないが、こんな警備体制を敷く位だから本国では余程の人気なのだろう」という感想を持たせようとして書いてある、と私は解釈した。それに不服をもつ記者の言葉も市民の言葉も書いてはいなかった。

Webでヒットする記事に目を通しただけなので、例えば一面・総合面の見出し下に書いてあるような内容だけしかない、という事はあると思う。もしかしたら記者が個人的に、取材が十分に出来なかった事について不服を漏らした内容が(日本でいえば三面記事・芸能欄や記者のコラム・エッセイなどに)書いてあったかもしれないが、それを新聞紙の論調として捉えるのはやや勇み足かもしれない。取り敢えず、事の真相はわからないので判断は読者諸氏に委ねておく事にしよう。

記事の中で興味深いなと思った点が、別に一つある。一紙では、「子(或いは子孫)にカトリックの洗礼を受けさせる」という誓約を交わしたと思しき記述があったのだ。文面からは、その誓約がカトリック教徒(つまり新郎)にのみ課せられたものなのか、非洗礼者(新婦)にも課せられたものなのかは判断がつかなかった。Wikipediaによるとこの誓約、昔は非洗礼者に対しても強制力があったようだがここ半世紀は教会法が改正された事もあってこの限りではないらしい。となると恐らく、誓約を交わしたのはキコの方だけ、という事になるがそれだとわざわざ記事にするのかな。そもそも、片親にだけ強制力を発揮する法って運用上どうなの、と思うが子の信仰に対して両親が裁判で争う場合とかあるのかな。うーん、わからん。Wikipediaちらっと斜め読みしただけで理解出来ると考えると考える方が浅はかか。すまぬ。

いずれにせよ、子の信仰という観点を考えた事がなかったので参考になった。結婚式で誓約があったという事は2人の間では話し合いは済んでいるのだろう。今後問題として浮上する事はないと考える。

…それにしても…日本人とイタリア人のハーフか…いつになるか知らんが、どんな感じなんだろうなぁ…。