無意識日記々

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クーマニズムに基づいたクマンセンス講義録1

夜はこんばんまくらさん…にはまだ辿り着けてないや。(∩´(エ)`∩)くーまん

ヒューマニズムというと人道主義や博愛主義と訳されるのだが、クーマニズムはどう訳すべきか。Hikaruがクマの保護に熱心な事からもわかる通り、クーマニズムは人間に留まらない価値観を標榜していると考えるべきかな。

それは、どういった観念で構成されているか。Hikaruのツイートにある通りだ。その思想信条はくまと平和を愛する心。最も近い言葉は"平和主義"だと思って差し支えないのではないか。


おっと、新しい読者も居るかもしれない。Hikaruの言う「くま」或いは「クマ」とはどういう意味を持ち、どう読めばいいかという基本に立ち返って話を進めた方がよいな。

「クマ」とは一文字で書けば「々」である。いきなり矛盾する話だがこれは文字ではなく記号であり、それ単体では読みや意味を全く持たない。しかし、それは何かに寄り添った時にその存在を現す。1人の「人」は「人々」となり1つの山は「山々」、木は「木々」、、、という風に「々」は1人、1つの存在に仲間を与える作用を持つ。一言で言えばクマは人を孤独から救ってくれる存在である。だからクマはHikaruの言うようにいつだってあなたの話を聞いてくれる。クマさえ居ればあなたはひとりじゃない。

しかし、それ故に、単体では意味も読みもない存在であるが故に、クマにとってはあなたが必要なのだ。それを忘れてはいけない。

また、クマの存在はあなたがいつどこに居るかは関係がない「クマ」をもし漢字で書くなら私は「空・間」と書くだろう。「空(くう)」とは3次元において何もない事、「間(ま)」とは時間方向について何もない事だ。間が空く、の間ね。つまり、クマは4次元にわたって何もない。どこまでもいつまでも何もない。しかし、あなたが今そこに居る事でそこに存在が与えられる。


それに基づいてHikaruのツイートを読み直してみよう。「くまと平和を愛し」のくまには、何を入れてもいい。くまは何でもないのだから。あなたの愛する何かを当てはめて考えればいい。あなた自身でもいいんだ。そして、ここが肝心なのだが、そうやって何者でもない「くま」を通じて、「愛する心」そのものを育む事を人は学ぶのである。

「くまのぬいぐるみを一体大切にすること」も同様だ。何でもいいから何かを大切にすること自体が重要であり、ぼくらはくまのぬいぐるみを通して「何かを大切にする心」そのものを学び、身に付けていくのだ。総てはくまを通じて。総ての道はクマに通ず。即ち、When in Kuma, do as the Kumans do.である。Kumanismとは、この諺に出てくるKumanの精神を指したものなのだ。今回の講義はここまで。皆さん、来週までにしっかりクーマニズムの心、クマンセンスを身に付けておいてください_ (∩´(エ)`∩)くーまん