無意識日記々

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1+α

週末のワールドカップ、オランダ対コスタリカ戦でPKを睨んだGK交代という"奇策"が話題になっていた。実際に試合を観た訳ではないので詳細はわからないが、貴重な交代枠(120分間で僅か3人)のひとつを使い、また、23人のうちの1人をPK戦にのみ使ってくるなど大胆極まりない采配が強烈だったようだ。

しかし、接戦ではこれが活きる。他がおしなべて高クォリティーで決着がつかない時、こういった、時間的幅は少ないが決定打となり得る"カード(持ち札)"があるかないかはとてつもなく大きい。コスタリカは無敗のまま敗退(相変わらず変なルールだな)したが、"僅差"(しかもPK戦だから最小僅差だわ)を確実に(といっても采配自体はハイリスクか)ものにしたオランダが実力で上回っていたという事だろう。

昔、「ライブコンサートでは、たった1分、たった1フレーズの為だけにゲストを招くのを躊躇ってはならない」とここに書いた。理屈は大体今さっきの話と同じである。2時間ハイクォリティーな舞台を見せたとしても、観衆の記憶に本当に残り、語り継がれるのはそのうちのほんの一場面だけだったりする。そしてそれが、舞台全体の評価を決定付け、それ以降の集客をおおいに左右する。

人は、どうしても時間幅で物事を判断しがちだ。今の人はピンと来ないかもしれないが、CDアルバムの収録曲は1曲でも多い方がいい、そちらの方が1曲あたりの値段がお得だから、みたいな風潮が確かにあった。しかし実際には、その中に自分を唸らせる曲が1曲でも入っているかどうかが重要なのである。いくら収録時間が長くても気に入れなければどうしようもない。

その一瞬。その一場面に賭ける。それが出来るかどうか。ただ、前提としてその前の二時間がハイクォリティーである事を忘れてはいけない。オランダが勝てたのも、120分間持ちこたえたからである。そもそもPK戦に持ち込まなければ今回の采配も何もあったものじゃないのだ。

即ち、+α。それを最後の最後にくっつけられるかどうかがブレイクスルーの鍵である。極端な話、その+αを提供してくれた相手が、5分の楽曲のうち30秒しか作曲していなかったとしても、同等の連名クレジットを作曲者欄に入れるべきなのである。人はどうしても時間幅で判断しがちである。それは努力礼賛の風潮の示唆であって決してよくない事でもないのだが、同時に、本当に価値のあるものは何かという判断を時計に任せてしまう事にも繋がる。最初と最後は送り手と受け手のマインドとハートなのだ。特別な一瞬を手に入れる為には、その点を見失ってはならない。さて、次のHikaruの作品にも、共作はあるのかな。