無意識日記々

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不安定な不安

結構最近は「DISTANCEとFINAL DISTANCEの編曲術の差異」とか「ぼくはくまにみるドラマツルギーの最小単位」とかいったテーマで研究(?)を続けているのだが、どうも何となく記事にする気にならない。そうやって技術的な側面から過去を検証するより、やっぱり「これから」について考えた事を書いてしまう。

不安なのだろう。「いつ戻ってきてもきっと僕らの期待に応えてくれる」という信頼は揺るぎない。では何が不安なのかといえば、Hikaruにとってそれが望ましい事なのか、後から振り返ってみた時に「やってよかった」と心から言えることなのか、そういった点が気になっているといえる。

アーティストなのだから、4年くらい休みをとるのは特に珍しくもない。8年おきにアルバムをリリースする人だって居る。大ヒット前提だけどね。なので、それ自体に異論はないのだが、「よくそれで我慢できるな」と思わなくもない。ワーカホリックとはいかないまでも、Pop Musicianとしての生活が懐かしいな、寂しいな、とHikaruが思うかというと―思ってないんじゃないかなぁと。

プレッシャーがあるとわかりきっているにもかかわらず復帰の道を選ぶというのは既に並々ならぬエネルギーが必要な訳で、常人から較べると遥かに強い情熱がそこにある点については疑いがない。それがないとやっていられない、とまで言うべきかな。ただ、「何の為に」という「頑張る理由」を探し始めた時点で、既に無理をしているんだと思う。

本当なら、もっと自然な形で活動出来ればいい。なんか新曲出来たので発表してみました。なんかライブやってみたくなったのでツアーを組みました。それだけの事なのだ。本来なら。

しかし、Utada Hikaruは残念ながら未だに巨大プロジェクトなのだ。もし次に復帰するなら大々的に宣伝されるだろうし、前に考察したように日本からの海外進出を狙うレーベルとしてはイチオシの看板歌手としての扱いを受けるだろう。またもや一挙手一投足が注目を浴びる立場になる。総ては計画されて、大きなシステムの中で動いていく。

そういうのが向いている人ならいい。しかしどうだか。元々「いきあたりばったり」を標榜してたんだから、出来るだけ身軽な状態で普段からいられた方がよい。軽いフットワークと思いつき。そこから生まれてくるもの。そんな風に考える。

今更「向いてない」もない。WILD LIFEの陣頭指揮もとった。20代の女の子が親の代のスタッフたちをも相手にして全体を取り仕切ったのだ。そこまで出来る人だが、だからといって、それが…難しい。要は、いい曲といいライブが出来ればそれでいいんだけど、Hikaruがそこまで開き直れてるか。てる、なら、あんまり休んでいるのは宜しくない。楽想は一瞬々々で飛び去っていく。延々それを追い捕まえる生活に慣れるかというと、やっぱりわからん。そこらへんが、たぶん私の不安の正体なのだと思う。