無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

0°=360°

Hikaruは今、自分を見失っているように思う。これは、やりたい事がやれていないとか、やりたい事がわからない、とか何か自分に嘘を吐いているといったのよりもっと深刻な段階だ。一言でいえば、「こころとかたちがあっていない」。

心は目に見えず耳で聞こえず、五感で直接触れる事は出来ない。この場合の心は英語でいえばHeartよりMindに近い。五感で触れる事が出来ないから、我々は五感で触れられるものに心を託す。そうやって、他者にだけでなく、(恐らくずっとこっちの方が重要なのだが)ずっと未来の自分や、ほんのちょっと未来の自分に、今の(と言った瞬間に過去になってしまった)自分の心を伝える事が出来る。これがうまくなってくると、多くの人に自らの心のうちを伝える事が出来るようになる。

最も基本的なかたちはことばである。我々の記憶は、ことばを得た時から、言語性を獲得した時から始まる。それは日本語とか英語とかいった特定の言語でなく、言語性という抽象物でよい。

なんだか話が難しくなってしまったが、要するにHikaruは、今の自分の心を的確に表現する手段を失ってしまっている状態にある。それがすぐにわかるのは、あとさきで発言に矛盾が生じている場合だ。サッカーの時がそうだ。ついさっき書いたことばと相容れない発言をする。恐らく、今回の発言(ツイート)も、ご友人には申し訳ないが、実際の弔いの方法とは食い違っている可能性がある。

ちと踏み込み過ぎた。これ位にしておく。私だってこんな事は書きたくないのだから。人のことをネガティブに言うのは誰でも出来る。

それなら話題を少しずらしてみるか。ネットの言論空間において伝統的に厄介な問題がある。ある分野に精通し切っている人とただのクレイマーの区別がつかない事だ。

例えばスポーツの世界チャンピオンには物凄く自分に厳しい人が居る。得点をとった時ですら首を傾げる。自分からミスしようものなら喚きちらさんばかりに不機嫌になる。余りに自らに設定するハードルが高い為いつも「この程度ではダメだこの程度ではダメだ」と常に自分にクレームをつけている。

このまま指導者になると、下についたものはたまったものではない。育つのは同じメンタリティの―自分を許さず、徹底的に叱咤し続けるタイプだけが生き残る。それが帝王教育だと言われればそれまでだけど、それだけでは立ち行かない事が多い。大抵の指導者は、飴と鞭をじょうずに使い分ける。

しかし、やはり暫く発言力が強いのは実績を残した方だ。彼らの声(手厳しさでいっぱいのヤツ)と、そして、ネットに溢れかえっているネガティブスピーチの数々は、殆どソックリである。「くそつまらん」とか「おまえは終わりだ」とか「消えろ」とかよくそんな事が言えるなのオンパレード。しかしそれは、実績ある者(まぁいえば究極の職人気質/陶芸人間皿割る皿割る)のそれと見た目は同じ発言なので、どうしても威力と御墨付きを持ってしまう。これが、ネガティブな発言がネットから消えづらいひとつの理由である。

だから、人を誉められない、人の長所を指摘できない人の発言は、あっさり無視する事をお勧めする。それじゃあ臭いものに蓋でなぁんにも解決しないじゃないかと勿論言われるのだがそれもあっさり無視しよう。耳を傾けるべきなのは、問題が何か起こった時に「なんてひどい」としか言わない人の方ではなく「ではこうしたら解決するんじゃないか/よくなるんじゃないか」と発言する人の方だ。そういう人の発言をきくだけで、人生なんてすぐ終わってしまう。ネガティブスピーチに割ける時間は、人生が一千年あっても永遠にやってこない。


したがって、今日の無意識日記は、Hikaruに対して「こうしてみてはどうか」と言う事無しに、ただひたすら「よくない」というだけのネガティブサイドになってしまっている。これではよくない。勿論、最初期の段階で問題に気付き、よく分析し、何がどうなっているかを知るのは大切な事だが、解けもしない問題にかかずらうのは時間の無駄だ。出来れば、次の機会は、Hikaruに助言を与えられるような何かが欲しいところ。私はそうしたいのである。自分がダメでも諦めずに行くよ。