無意識日記々

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かすんで見えない絵と額縁

海路の

『船が一隻黒い波をうつ
 たくさんの景色眺めたい
 額縁を選ぶのは他人』

の一節は、BLUEの

琥珀色の波に船が浮かぶ
 幻想なんて抱かない
 かすんで見えない絵』

への返答になっている。

まず、船の様子が変化している。BLUEでは『浮かぶ』となっていて、これはどこかたゆたうような、波に任せて漂流しているような印象を受ける。これが海路では『波を打つ』と力強い表現になっている。これは、船が"海路"を決めて前進している印象を受ける。波のモチーフは、例えばExodus'04でモーゼの逸話が引用されついるように、障害を乗り越えて自らの道を切り開く比喩となっている。ころだけでもう、海路がBLUEより"進んだ"楽曲である事が示唆されるだろう。

『額縁を選ぶのは他人』も象徴的である。作詞家としては、これは、アルバムの総ての楽曲が出揃って、全力は尽くした、後は聴き手の解釈に委ねよう、という心の境地を歌ったものだろうが、兎にも角にも少なくとも絵は完成しているのだ。でなければ額縁の話なんて出来ない。

一方BLUEでは『かすんで見えない絵』とくる。絵を完成させるどころか、あるかどうかわからない状態である。まさに暗中模索五里霧中。しかしこの一節でいちばん注目すべきは、かすんで"見えない"と言っている点だ。もし創作初期で青写真もままならない段階で、更に創作意欲が漲っているのなら、ここは「かすんでいるけど朧気に見えている」という表現になる筈である。「かすんでいるけど全く見えない訳じゃない、ほんのちょっとばかし見えている」というのと『かすんで見えない』というのでは心理状態が大分違う。コップ半分の水に「まだ半分ある」と言うか「もう半分しかない」と言うかの違いである。ここが、海路とBLUEで大きく異なる点である。

そして春の日差しである。BLUEではまぶたに映るだけだった夜明けが、ここではあっさり訪れる。寒い夜は明け、暖かい陽光が感じられる。『どんなに長い夜でさえ明けるはずよね?』という問いに対して『(さあね)』と返していた不安は、この春の日差しの前では溶解してしまう。悲痛な叫びは総て落ち着いた、雄大なメロディーに入れ替わっている。

しかしいちばん大きいのは、海路に『君』が出てくる事かな。BLUEに出てくる「あんた」とは、目も合わせる気がない。呼びかけ続けるdarlingもきっとそこには居ない。海路に出てくる『かくれんぼ 次は君次第』としっかり"こちら"と向き合っている。何よりこれがいちばん大きな変化だろう。短い制作期間の中、ヒカルの心境はドラマティックに変化していたのである。