無意識日記々

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ハイレゾは永遠のイレギュラー

昨夜はハイレゾについてツイートを散発したので、ここで内容を纏めておこう。

奇しくも、と言っていいのかどうかわからないが、ハイレゾに対する私の態度は宇多うたアルバムに対する態度と全く同じである。曰く、「そりゃあ俺はテンション上がってるけど、皆はそうでもないでしょ?」と。なので書く内容も同じく"愚痴と難癖"に終始する。悪しからず。

音はいい方がいい。そりゃあもう。なので、少しでもいい音で既存音源を出し直してくれるのは大歓迎。Hikaruの関連作品はほぼ総てハイレゾ版を購入する所存である。

しかしそれは、私が高音質に抗えない性質だからであって、そんなの一般的には特異体質だ。照實さんの言う「ハイレゾの時代」なんてやってくるとは思ってない。特異体質の集まりには受け入れられるだろうが、宇多田ヒカルというどメジャーアーティストの名の許で言えるセリフではない。

映像は、確かに高解像度のものが徐々に普及している。アニメなどはソフトによってはブルーレイがDVDの10倍売れるとか、或いはそもそもDVDがなくブルーレイのみだったりする。

しかしこれは、政治的な強制力によるものだ。地上波テレビの総デシタル化、いわゆる地デジ化によって、皆否応なく高解像度のテレビを買わされたのである。そうなるとどうしたってDVDの画質では粗が出てしまう。なのでブルーレイが普及する、という流れだった。今までのアナログテレビでは番組が見れなくなるというのだから仕方がない。電波行政と地上波テレビの全国的な影響力はかなりのものだ。

では音楽にそんな事が可能か? 再来年からFMラジオが総デジタル化され、高解像度のものしか受信出来なくなります? 誰も得をしない。いやTV地デジ化だって得した奴なんか微々たるものだが、ラジオの場合は本当に皆無である。AMに至っては技術的に無理だろう。

では5年後から、ポータブル・プレイヤーがハイレゾしか再生出来なくなります、とメーカーが言い出す? いやいやそんなアホな。MP3の128kbpsで十分な人が世の中の大半を占めているのに。地デジ化も似たようなものだったのだがあちらには政治的モチベーションがあった。ラジオにはそんなものはないし、そもそも音楽ファンでラジオを聴かない人も沢山居る。映像とテレビとの関係とは違うのである。

仮に電波を総て高解像度化し、プレイヤーをハイレゾのみにしたとしても、残念ながらそれでもまだ足りない。スピーカーとイヤフォン次第で音は幾らでも劣化する。これも、3万円以上のイヤフォンと20万円以上のスピーカーしかメーカーが生産しなくなったら、いよいよ庶民はハイレゾしか音楽を聴く手段がなくなって…


…ほら、ハイレゾの時代なんて絶対絵空事でしょ? イヤフォンなんて付属のでいいし、うちにあるスピーカーってパソコンについてる奴くらい。そういうのが主流な中でハイレゾが覇権を取る事は絶対にない。この国が自由の国である限り有り得ない。

何年かして、ハイレゾのGB単位の保存容量でも苦もなく保存できる数十テラバイトを搭載したポータブルプレイヤーが主流になり、Mbpsで音楽を流しても一切途切れないくらいに全国津々浦々にモバイルブロードバンドが普及し(それを阻んだのが地デジ化なんだが)、ハイレゾプレイヤーも劇的に安価になればハイレゾを購入するのが当たり前になるかもしれない、と考えてるとしたらそこが間違っているのだ。

高音質で音楽を聴く為に本当に必要なのはアンプとスピーカーorイヤフォンであり、それらは時代が下ったからといって劇的に安価になったりはしない。高級再生機器は職人技であり、達人たちの鍛え上げられた技術に支えられているからだ。それがディスカウントされるだなんて有り得ない。なので、10年経とうが20年経とうが、人々は相変わらず安価でそれなりの音質に満足して音楽を聴いているだろう。ハイレゾの時代は永遠にやってくる事はない。私は私で、異端と自覚しながら端っこの方で細々と高音質を楽しんでおく事にしますよ。