こんなエントリーを書き続けているというのに今週のアクセスは普段より随分多い。やれやれだぜ。
さて今回は基本に立ち返って「高音質の何がいいのか」という話。
ヒカルの音楽のファンである場合、2種類に大別される。いや3種類や4種類でもいいか。幾つかあるのだ。
まず作詞家宇多田ヒカルのファン。彼女の詞は歌とわかちがたく結び付いているとはいえ、何を言っているかわかればその魅力は十分伝わる。彼女の詞を堪能したくば全く高音質は必要なく、音質はAMラジオ程度あれば十分である。
次は作曲家宇多田ヒカルのファン。メロディーメーカーとしては日本商業音楽市場屈指の才能だが、これもメロディーラインが聞き取れるレベルならその魅力は伝わる。AMラジオで十分だろう。
アレンジャー/トラックメーカー宇多田ヒカルのファン。これは、少なくともステレオを鳴らすシステムは必要だが、肝心なのは、ヒカルはミックスダウンにはクレジットされた事がない、という点。プロデューサーとして作業に立ち会い最終判断を下してはいるだろうが、音質へのこだわりはわからない。つまり、楽曲の構造が伝わるだけの音質があればアレンジャー/トラックメーカーとしての宇多田ヒカルの魅力は伝わる。FMラジオや標準音質のMP3で十分である。
歌手宇多田ヒカル。高音質を求めるべきなのは、この層である。ただ歌の巧いの知る為だけならばAMラジオ程度の音質でもOK&Alrightなのだが、彼女がどれだけ繊細に歌い分けをしているかを知りたければ音質は高ければ高い程いい。音域は広く、解像度は高く。
圧縮音源から非圧縮音源、そしてハイレゾ音源へと音質が上がるにつれ、歌の、ヴォーカルの何がより伝わっていくか。それは高音のピアニッシモの部分だ。私は高音で歌えるぞと声を張り上げるシンガーは数あれ度、高音で強弱をつけて繊細に歌えるとなると宇多田ヒカルは他の追随を許さない。特に、声にエアを混ぜて儚げに切なく歌い込む場面は独特である。ここが、高音質であればあるほどよく聞き取れるようになる。ああ、こんな風に歌っていたんだという発見が目白押しである。
そしていちばん高音質の恩恵を受け、かつマニアックなのは「ブレス」の部分だ。最早歌の一部と言っていいかどうかもわからないこの「息継ぎ」の部分は、MP3よりCDで、安価なイヤフォンより高価なイヤフォンで、より鮮明に響いてくる。ここが聞き取れるかどうかで何が変わってくるかというと、歌手のリアルさである。ブレスがよく聞こえれば聞こえる程、「宇多田ヒカルがそこに居て歌ってくれている感」が強くなる。そのリアリティに喜びを感じ取れる人であるならば、高音質は誠に価値ある追究対象となるだろう。
結論。曲のファンは音質にこだわらなくてよし。MFiTやハイレゾ配信はスルーで構わない。彼女の歌唱力、そして、肉体的な彼女の存在自体に魅力を感じる向きは、存分に高音質を追究すべし。万単位の投資も見返りがあるだろう。ヒカルの存在をそこに感じ取れる事が嬉しい―そう思えるなら貴方は立派な宇多田貧乏になれるのです。いやはや、財布が軽いわ。(涙)