ハイレゾツンデレな話が続いているのでもう一度整理しておくと、ポイントは高画質の価値や意味をどう知ってもらうか。これに尽きる。
音と画で事情は違うが、映像の世界ではそれを政治力で強引にやってのけた。まだまだ使えるアナログテレビを無理矢理廃棄させ、デジタルを買わないとテレビが見れなくなるぞと脅して高画質テレビジョンに買い替えさせたのだ。そうなると、どうしてもDVD画質では粗が見えてくる。アナログ時代の画質では気にならなかったのに。それで皆に高画質を知らしめてBlurayをある程度普及させたのだ。もっとも、コンテンツによってはDVDとBlurayが半々、或いはDVD優勢、いやそもそもDVDしか出ていないものも多い。価格差のお陰で、まだそこまでは徹底されていない。裏を返せば、全体主義国家並の強制力をもってしても高画質の価値はそこまで敷衍されていない、とも言える。
音楽についてはそういった政治力、強制力を使える余地がない。特に、日本人の特性かどうかはわからないが、我々が音声に求めるのは判別性・識別性が主であり、高解像度は映像以上に眼中にない。いや耳中にない?そんな言葉はないか。
判別性・識別性とは、「今何と言っているかわかる」或いは「Aと言ったかBと言ったかを区別が出来る」という意味だ。平たく言えば、ニュースの音声を一字一句間違わずに聞き取れれば人はそれ以上の音質をなかなか求めない。それ以上の高音質を耳が感知できないのではない。必要性を感じないから相手をしないのだ。
この壁は大きい。勿論、値段が同じならば(高音質を耳が感知できるのだから)皆高音質を選ぶが、差額を払ってまで手に入れたいかというと否、だ。DVDとBlurayですら今の感じなのだから、MP3とハイレゾではなかなかに難しい。勿論、差額が問題なのだからDVDとBlurayが同じ値段になったら皆Blurayを選ぶ(実際は、コピープロテクトや再生機器への負荷等を考慮してDVDを所望する層はある程度残るだろうが)。ハイレゾも、今ある圧縮音源配信販売価格と同額になれば選ばれるようになるだろう…が、音楽ファイルには容量の問題もある。昨今の64GB以下の容量でハイレゾ音源を入れるとなるとかなり足りない。やはりここでも、映像より難しいだろう。
そこで前回は、その差額を払ってでもハイレゾを手に入れる動機を喚起する目的として、ライブ盤への注力を提案した。特にBlurayは、配信音源と異なりリビングのしっかりしたステレオで観て・聴いてもらえる確率がぐっと高くなる。ハイレゾのアピールの為にはよりよい環境となるだろう。
…という話を、今までしてきた。昨日は初心者の為のハイレゾ講座まで掲載されていて、宇多田チームの注力具合も伺い知れてきた。各地の試聴会々場ではハイレゾ音源とハイレゾ対応プレイヤー&ヘッドフォン?が用意されていたとか。よい販促になった事を願う。できれば上述のようにライブ音源がよかったが。「まるでHikkiが目の前で歌ってるみたい!」と感じさせれれば価格差なんてもう視界に入らないから。
…まぁ今日は休日だし、取り敢えずまとめまで。