無意識日記々

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High Resolution Revolution

前回の日記に説明不足があったので補足。ニュースに番号をつける所まではいい。それらを羅列せずに一旦「見出しの目次」を挟むべきだという話をしたかったのだ。例えば、

1.ソングカバーアルバム発売決定
2.シンコレ2作ハイレゾ配信決定

という風に。ぶっちゃけ、これでも長い。今や"見出し"というのはポータルサイト、例えばYahoo!JAPANのトップを飾る12文字の文字列の事を指す。それ位コンパクトに纏めた情報を送りつける必要がある。その段階をどう踏むかは難しい問題で、スクロールさせすぎもダメだし、クリックorタップも回数が多いとうんざりする。そのトレードオフの中で、伝えたい情報をどうやって咀嚼させていくかが勝負なのだ。補足終わり。


さて。ハイレゾについては散々叩いてきたが、本質的な問題である「低音質が音楽文化全体の緩やかな地盤沈下を招いている可能性」については、真剣に考えなくてはならない。これはソフトの問題より寧ろハードの話である。

ただ、これは本当に難しい。21世紀初頭、音楽再生機器の覇権を奪ったのはiPodだったが、Appleはオーディオメイカーではなかった。つまり、一言で言えば既存のオーディオメイカーは誰も一般大衆のハートを掴めなかったのである。ハイレゾ推しは、その"一般大衆との乖離"の成れの果てでしかない。

Appleはオーディオメイカーではなかった為、音質は度外視だった。すぐそばにハードディスクが回ってるんだから仕方がないが、付属のイヤフォンもあんな感じだった。それが覇権をとるのだから、如何に大多数が音質を問題にしていない…というか「そこそこ鳴ればいい」としか考えていない事の証左だろう。

これは、全世界規模の話。日本ではここに、この国独自の事情が入る。

日本のアイドルはおしなべて歌がド下手だ。お金を貰っていいレベルではない。アメリカのチャートに上がってくるアイドルたちは誰もがちゃんとヴォーカルレッスンを受けているのに…。勿論実際は彼女たちもライブでド下手なのかもしれず、CDで聴けるのは加工された歌声かもしれないが、そうだとしてもつまり、アメリカのアイドルプロデューサーは「歌はちゃんとしとかないとな」と思ってそれを実行に移しているのだから、"世間"から「あんたら歌手なんだったらちゃんと歌いなさいよ」というプレッシャーがあるのだろう。日本には無いのだ。

ラジオから流れてくるアイドルの歌はCDの音源である筈だが、いずれもあんな感じだ。これはつまり、日本の"世間"が歌の巧さを求めていない事を示している。この、"世間の圧力"の有無の差は大きい。そして、日本のチャートのメインは今はアイドルたちである。

それを踏まえると、日本人は、音質はおろか歌唱力にすらクォリティーを求めていない事がわかる。歌手として歌が下手でも肩身の狭い思いをしなくて済むのだ。

こんな国においてハイレゾ云々叫んでも無駄な事がよくわかるだろう。"ハイレゾの時代"は、その現況を覆して初めてやってくる。絶対無理と言い切るのもわかって貰えるのではないかな。たとえ音楽ファイルがハイレゾ主体になっても、それはハードの記憶容量が上がり無線ブロードバンドが恐ろしく強化された挙げ句の話であって、それは幾ら普及したとはいえ決してハイレゾの時代とは呼べないだろうね。

この現況を覆すには、例えば大学のセンター試験で音楽という科目が必須になるくらいの改革が必要なのだと思う。日本で英語が出来る人が尊敬されるのは英語が出来ると便利だからでもかっこいいからでもない。文系も理系も必ず18歳まで学び続ける唯一の科目である為、日本人の大半が英語で苦労した事があるからだ。つまり、自分が出来なかった事を出来る人だから尊敬されているのである。そして、物事の法則として、半分を超えれば後は空気が何とかしてくれる。「英語できる人に対しては感嘆するものだ」という常識が出来上がれば皆そういう価値観を持っているかのように振る舞い始める。ここまできて漸く、英語ができる事が世間一般から賞賛されるようになるのだ。

音楽は勿論そうなっていない。「私、歌の上手下手とかよくわからないから」と言う人がとても多いが、大概それを言う人は迷惑そうだ。別にそんなんわからなくても困らないから、と。そういう状況だから、アイドルの歌が下手かどうかなんて気にしないのである。

そんな"世間"に、音楽のクォリティーより更に難しい音質のクォリティーの話をしたって誰がついてくるというのか。ここにあるハードルは、メチャメチャ高いものなのだ。

話はまだ途中だが、無駄に長くなってしまったので今夜はこのへんで渋々区切っとくわね〜。