無意識日記々

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ハイレゾの作る溝

ハイレゾの売りといえば可聴領域外の"超音波成分"のデータを含んでいる事だが、私はそんなデータが本当に必要なのか懐疑的である―いや、もうちょっとマイルドかな、"可聴領域外成分が音楽鑑賞に与える影響に関してまともな議論をみた事がない"からそもそも問題にする気がない、とでも言うべきか。ちっともマイルドじゃないか。

多分、"超音波成分"というネーミングがいけない。何か凄い、と思わせてしまう響きがある。実際は普通の音と同じ空気の振動で、ほんのちょっと振動数が高いだけだ。これは電磁波と放射線の関係と似ている。あちらもただ振動数が高いだけなのだが、可視領域外になった途端何か神秘的なものとして扱われてしまう。

人間に可聴領域や可視領域が存在するのは、情報過多は身を滅ぼすからだ。地球上で生きていくにあたって、殆ど影響のない領域の情報はそもそも相手にしないのが自然淘汰上合理的だった。勿論(人間にとって不可聴の)超音波成分を利用して進化してきた蝙蝠等の生物も居る訳でその領域の情報が本質的に無意味な訳ではないが、人間の視覚聴覚にとって不必要な情報は進化の途上で捨象されてきた。

これは、1人の人間の一生においても同じである。聴覚において、幼少の頃は聞こえていた高調波成分が大人になるにしたがって聞こえなくなってゆく、という現象は普遍的な事だ。最近の若い人は知らないだろうが、テレビのブラウン管はトランスの振動が15kHz程度で、こどもにはその高さの音が聞こえていたが大人には聞こえなかった。大人に向かって何度も「ほら!鳴ってるから!」と言ってもわかってもらえなかったものである。

これは別に自然な事で、人間が普通に生きている上で15kHzの高さの音が有意になる場面なんてほぼ無い。従ってその部分の聴覚野が衰えるのは合理的なのである。特に憂う話ではない。


しかし、大人になっても15kHzどころか20kHz以上の超音波を認識できる人間が居る。宇多田ヒカルである。これは何故だろう、やはり先天的に聴覚が非常に発達する遺伝子でも持っているのではないかとぼんやり思っていたのだが、昨今のハイレゾブームでミュージシャンの皆さんが「これで漸くリスナーに僕らがスタジオで聴いている(のに近い)音を聴いてもらうことができる」と言っているのをきいてはたと気が付いた。ヒカルが20kHz以上の音が聞こえるのは、10代の成長過程でずっとレコーディング・スタジオで過ごしていたからではないか。もしかしたらもっと小さい頃から。

ヒカルがスタジオで昼寝したり宿題をしたりとそこに"半ば住んでいた"といえるエピソードは幾つもある。そんな環境の中で、ハイレゾより更に高音質のサウンドをずっと浴びてきたのだ。そうなると、超音波成分を含む高音質サウンドやそうでもないものなど、様々なクォリティーサウンドに出会う。そんな中で音楽に携わってきたものだから、"生きていく上で超音波成分に関わる時間が人より図抜けて多かった"可能性がある。その為、ヒカルは年齢を重ねても聴覚が衰えなかった。寧ろより鋭敏になっている可能性すらある。


先述の通り、高調波成分に大人が反応しなくなるのは、加齢による老化というより無駄なエネルギーを消費しない為の合理的な環境適応の一環だ。それをこそ老化というのだ、なんて議論はここでは置いておくけれど、ずっとスタジオに住みずっと音楽を聴き比べてきた人間にとって20kHz以上の超音波もただの"高い音"なのかもしれない。これは、ヒカルは極端な例としても、ミュージシャンにとっては多かれ少なかれあり得る事なのではなかろうか。


これが、ハイレゾに対する送り手と受け手のテンションの落差に繋がっているとしたら事態は結構絶望的だ。暖簾に腕押し糠に釘。そもそも聞こえていないのかもしれない。そんな状況の中でハイレゾを一般的に普及させるには、それこそ幼少の頃からハイレゾを聴かせてこどもを育てるしかないな。なんという堂々巡りか。なので、ハイレゾを買ったはいいがよさがよくわからなかった、という皆さん、それで普通なのですよきっと。