無意識日記々

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初恋息継ぎ話

続き。

『You are always gonna be my love
『いつか誰かとまた恋に落ちても』

『いつか』の前はあるかないかのほんの僅か、『誰かと』の前には短くブレスが入る。歌詞の区切りとしては『いつか』が冒頭なのだが、ここではメロディーの流れを優先させている。

『I'll remember to love you taught me how』

そして、『I'll remember』の前では大きくゆっくりとブレスが入る。性急に歌って切迫感を出すパートと、このように大きく歌って感慨を齎すパートの落差で生まれるダイナミズムがメロディーに更にドラマティシズムを与えている。その後の『You'll taught me how』の囁くようなメロディーは、また再び小さく控えめなブレスによって導かれている。

『You are always gonna be the one』

勿論その直後の『You are』の前ではまた大きく息を吸う訳だ。間にどれくらいの長さの休符があるかはさしたる問題ではない。あクマで歌詞の流れとメロディーの流れを両眼で窺いながらアプローチを決めている。

『今はまだ悲しいLove Song』

そしていちばんの聴き所はここだろう。『今は』『まだ』と立て続けに短いブレスを入れてくる。本来ブレスというのは"息継ぎ"という位だから空気の供給だ。歌わない人間からしてみれば、自動車がガソリンを補給するように足りなくなったらその都度行うものなのではないかと思いがちだが、お聞きの通り"補給"の心配が無くても息継ぎが行われている。となればこれは明らかに歌唱上のテクニックとして使われているのだ。

こういった技巧は歌手なら誰でも、いや、歌う人なら誰でもやっている事なのだが、どこでどういうブレスを入れるべきかといういちばん肝心なポイントは何らかの指導に頼る場合が殆どだ。ヒカルの場合、たぶん特に何も考えずに、メロディーに沿って歌ったらこうなったのだろう。何しろ自分で書いたメロディーだ、誰よりもその特性に詳しくても何ら不思議ではない。恐らく、それこそ息をするような自然さで。

この場面では、このように矢継ぎ早にブレスを入れていく事で、サビの中でも特に印象的な『悲しいLove Song』の部分に非常な切迫感を与える事に成功している。もしこの段階的なブレスがなかったら結構大らかに響く場面なので、これは歌詞の『悲しい』にも配慮した歌い方だといえる。

『新しい歌 歌えるまで』

最後に『新しい歌』の後に万感の思いを込めてブレスが入る。ここまでの山あり谷ありを総括する一呼吸だ。ここも入れると入れないではメロディーのまとまりが大分違う。非常によく巧まれた構成である。


二回使っても一番の終わりまでしか来なかったな。次も続けるかはまた次回のお楽しみw