無意識日記々

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シングル曲とアルバム曲の橋渡し

先週のLRで痛感したのは、アルバム曲とシングル曲の認知度の落差である。当然と言われればそれまでだが、上位半分がシングル曲、下位がアルバム曲と綺麗に分かれていた。どれだけいい曲だろうが、まず聴いて貰えねば評価に繋がらないのだ。

以前からここでは「オリジナル・アルバムというコンセプトを排して、総ての曲をシングルとして発表、アルバムは総てシングル・コレクションとする」という案について論じてきた。私はそうすべきとも思ってないし、そうすべきでないとも思っていない。ただ、シングルを数曲発売してオリジナル・アルバムを売る、という手法は、シングル曲もアルバム曲も一切妥協しないヒカルのスタイルに対しては「割に合わない」とか「やや誠実でない」とは思う。アルバムの収益率の高さを支える為に質の高い楽曲が"使い捨て"されている事になるのだ。極端な言い方をすると、ね。

勿論EMIも何も考えていない訳ではない。宇多うたアルバムでは配信において今後の参考になるであろう"実験的な販売方法"を試していた。iTunes Storeでアルバム曲のバラ売りを半分の曲に限定していたのだ。iTSでは曲ごとに「アルバムのみ」販売の設定が可能らしい。

「アルバムのみ」とは、楽曲単位での購入は出来ず、アルバム単位で一括購入してくれた人にのみ聴けるトラックのことだが、そういうのは大抵、1トラックで10分とか20分とか「それを3分の曲と同じ250円で売るのはちょっとねぇ?」というトラックにしか適用されてこなかった。いや私がそういうのしか見たことがなかったと言った方が的確か。

宇多うたアルバムの配信販売手法は、即ち、アルバム曲の幾つかを更に"準シングル曲"として販売し、アルバム購入への敷居を低く、いや、"スロープ"にして、滑らかに購入にまで至って貰おうという算段だろう。実際、一曲々々聴きながらバラ売りを一曲々々買っていけば殆ど最後の方はお金を払わずにアルバム全体が購入できる。いやそれは今までも同じだったのだが、バラ買い出来る楽曲を売り手側で絞ってそこに集中させる事が出来るのであれば、スロープの作り方としては巧妙である。


つまり、この、「シングル曲とアルバム曲」という二極化から"準シングル曲"という新しい段階を挿入する事によってオリジナルアルバムの位置付けを見直そうという試みだ。残念ながらフィジカルではこのような手法は難しいだろうが、宇多うたの売上結果如何で、今後のヒカルのリリース形態に何らかの影響が出てくる可能性はある。そうなってくると、それこそ、歌詞閲覧回数ランキングでもシングル曲とアルバム曲の間の垣根が取り払われていくかもしれない。さぁ今後どうなるか楽しみですな。