無意識日記々

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交流の方法論

復帰時期が後になればなるほど、戻る時の方法論が複雑になる。ふと気がついて現在のTwitterフォロワー数を見てみるとヒカルは総合10位か。他のTop10の人たちが"毎日毎週テレビで見る人"である事を考えると「なんでそこに居るねん!?」感が拭えないが、ある程度Tweetしてれば忘れられる事もないのかもしれない。

Twitterが普及し過ぎて、情報発信の整理が始まって久しい。Facebookに一本化するとかblogに戻るとか方法論は様々だが、特に決定打は見つからず、個々の最適を模索している状況か。ヒカルが戻ってきた時にまずどの層にアピールするかは、どのSNSを使うかと連動するだろう。

Message from Hikkiが現存している以上ここが"home"である感覚は変わらないが、Twitterの方が発信する側も受信する側も都合がいい。何より、多分若い頃にヒカルが憧れたであろう"フラット化された世界"にTwitterは随分近い。有名人であろうが芸能人であろうが分け隔てなく話し掛けられる感覚。お蔭で送受信"量"のアンバランスは増長されてしまうのだが、それは諦めてしまうのが得策だろう。くじ引きを引いてリプライを選ぼう。200万人近い相手とフラット化というのだから限度もある。フォローは相変わらず20人余りだし。

Twitterの"長持ち"度は結構なものだ。早晩衰退する事はありえないだろうし、他に強力なシステムが現れたとしても緩やかに後退する程度だろう。勿論、Twitterに出来る事が総て出来て尚且つ、という新システムが出来ればこの限りではないがそれって"Twitterの進化"でしかないので寿命が長くなったとみるべきになるだろうな。

ただ、そのSNSの多極化を"分断"と捉えてしまうとさてどうしたものかとなる。書いた曲を誰に聴かせたいのか、という基本に立ち戻らねばならない。5年6年と経過するにつれ、皆歳をとる。例えば2ちゃんのまとめブログは多くが40代以降のオピニオンの場と化している。90年代から存在してずっとそこに居座ってればそんな歳にもなる。若い子たちはそれを知っているのかどうか。

ゲームを中心としたコミュニティーはまだまだそこまでいっていない。アバターという言葉が普及したように、ある意味匿名の個人のSNSの場としてはFacebookの対抗馬みたいな位置付けでもあるが、まだ私の知る限り「一生続けられる無限拡張型のオンラインゲーム」が爆発的に普及している話は聞かない。それが作られれば、次の世代のSNSの牽引車になりそうなもんだが。

ヒカルが今インターネットをどれ位使っているかはわからない。調べものはするだろう。地図とか辞書とかレシピとか。一方で、交流の為の機能は使っているのだろうか。そこの感覚にピンと来てないと、今後ラブソングを歌っても上の世代にしか響かなくなっていくかもしれない。演歌の恋愛観が若い世代に響かなかったりするように。それはそれで、と思うのかPop職人としてあクマで全世代にアピールしたいのか。最初っからインターネットありきで活動を始めた最初の世代のアーティストとしてどのような方法論をとるか。周りも注視していきそうな気がしている。