無意識日記々

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まつりなはなし

今回注目しているのは、SNSによる"口コミ"の威力とスピードである。SCv2がリリースされたのは2010年。Twitterは随分普及していたが、今のように「スマホ片手に」というスタイルはまだ主流ではなかった。言うなれば『Fantome』はヒカルが初めてスマホ世代に投げかけた新作なのである。

一体どれ位の影響力がSNSにあったのか、定量的な評価はいちばん沢山のデータにアクセスできる梶さんにお任せするとして、つまり何が起こるかという概観を述べてみたい。

スマホ世代は何が違うか。数だ。それまでPCを中心としてアクセスしていたインターネットに、多分一桁多い人間が加わった。もう既にテレビや新聞を上回るメディアになっている筈だ。

次に違うのは、動画だ。ガラケーでも専用サイトにいけばインターネットの情報は手に入った。しかし、スマホは何が違うかってそのままYouTubeに行ける事だ。皆こぞってアクセスできる。

もうひとつ、YouTubeとも関連するが、無料文化。ガラケー世代は何だかんだでお金を払った。代行決済という必殺技が使えたのが大きいのだが、そこで着うたがどれだけ売れたかを二番目によく知っているのが我々だろう。(一番目は青山テルマのファン、でいいんだよね?)

そして、TwitterとLINEである。次々と向こうから情報がやってくるこの感覚は、ガラケー時代とは一線を画す。ガラケーだって最初はセンターにメール問い合わせばっかしていた記憶があるが、いつしかちゃんと勝手に着信するようになった。それがスマホではあらゆるメッセージについて起こる。音鳴らす設定にしてたらうるさくて仕方がない。

こんな感じだ。人数、動画、無料、通知。これらの組み合わせは奇妙な結果を生む。有名な人は更に有名になるが、何も売れないのだ。数千万人の人がヒカルの新譜の発売をプッシュ通知で知る。或いはいつも行くポータルサイト(検索だったりゲームだったり)のニュースで知る。すぐに情報は回る。興味をもった人は動画を見に行くだろう。しかしそこで何かを買うという事をするかというとなかなかしない。iPhoneユーザーですら、すぐ目の前にあるiTunesボタンを押さない。動画で満足してしまう。

何故かといえば、情報過多だからだ。黙っていても幾らでも娯楽はやってくる。適当に有名アカウントをフォローすればくすっと笑える十数秒の動画が次から次へと。消費しきれない。宇多田ヒカルが新曲を出しても、その中で消費されるだけで、自分から手に入れにいこうとはしない。

ここでどうなったか、である。スマホ世代はここからが勝負なのではないだろうか。人の評判である。アルバムを聴いてよかったという評価を友人がしていれば、興味が出る。話題のタネになる。80年代90年代にテレビや雑誌が果たしていた「遅れるな」という役割を直接SNSが、スマホによるアクセスが担う。それが、昔と較べてどうスピードと拡散力が違うのか。それを見極めるのが先週から今週にかけてのチャートアクションだ。どうなったか。

それの解釈は多分難しい。特に、ラジオチャートが伸びていて、明日からは『ファントーム・アワー・ウィーク』だ。今週もう一伸びあるかもしれない。しかも、照實さんがビデオを作ったとか作ってないとか言っている。『Fantome』のミュージックビデオは既に6つ存在している(『桜流し』×2、『花束を君に』×2、『真夏の通り雨』、『二時間だけのバカンス』)のでどういう数え方かはわからないが、もう一山作る可能性が示唆されている訳で、一応目が離せない。各曲の解説をしながら、ラジオの感想も書きながら、更にもう暫くチャートも追おう。今週は忙しいわい。