無意識日記々

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灌仏会らしい(?)お話

先日漫画「ONE PIECE」の発行部数が数年ぶりに400万部を割った、というニュースが出ていた。さしもの大ヒット漫画の人気にも陰りが、と読んでいない人は思ったかもしれない。

元々今の人気はただのバブルなので、あと100万部や200万部減ったところで内容の評価とは関係ない、と私が言っても、ここに来ているDistance以降のHikaruの作品もしっかり聴いてきている皆さんは頷いてくれるだろう。

で、「ONE PIECE」を読んでいない人たちに私なりの同作への評価を率直に書いておくと、単行本が77巻まで出ているというのに未だに衰えないどころかアイデアの密度は上がりっ放しで、最近は常に過去最高を記録している感じだ。今回は「そろそろドレスローザ編も決着してくれないかな〜」と最新刊を読み始めたのに読み終わる頃には「いや〜ドレスローザ編終わって欲しくねぇなぁ」と思うようになってしまっていた。それ位キャラクターもストーリーも魅力的だ。

ここ数年の"欠点"といえば、恐らく、アイデアの密度が上がり過ぎた為にコマ割が増え説明文が饒舌になり大事な場面もあっさり通り過ぎたり時には描写自体を省略したりする場面が増えてきた事だろう。尾田自身も「やべぇ、昔のペースで書いてたら俺が生きてるうちに終わらねぇ」と悟ったんだろうね。なので、昔に較べて「読みにくい」という感想は増えていると思われる。仕方がないのだが、まぁ普通に漫画としての読み易さとスピード感のバランスがよかったのはアラバスタ編だろうかな。あの頃のテンポで今の77巻を描写したら3倍や4倍のページ数じゃ済まないだろうね。

という訳で、多分、今や「ONE PIECE」のライバルはバイブル(聖書)だけだろう。このまま尾田が健康で日本が安全な国のまま駆け抜けられれば、完結と共にこの作品は「人類史上最も偉大な出版物」となっているだろう。これに勝てる"作品"は思い付く中ではユークリッドの「原論」かアインシュタイン一般相対性理論の諸論文くらいだが、しかしこれらは自然の齎してくれた賜物であって"作品"というのは違う気がする。


こんな作品がリアルタイムで味わえるとは何とも幸運な事だ。「ONE PIECE」が終わった後なら現代文明は崩壊しても格好がつくだろうな。



と、ここまで最大級の評価を下している私は「ONE PIECE」マニアではない。ならなかった。そうせずに、こうやって日々1人の女性音楽家の話を書いている。「聖書を超える本」を書く人より私はこちらの方に余程価値を見いだしているのだ。それって一体何なのだろう? わからないから、こうやって日々探している。

確かに、Hikaruが亡くなったらもうホモ・サピエンスの役割は終わりかな、と思う。年齢的にもそこに立ち会える可能性は低いんだけど、現代文明はおろか人類が滅亡してもいいんじゃないかという風に考えている―フシがある。何だか壮大だが、かといって今彼女に期待しているのは世界を救う事でもとんでもない富を築く事でも世界中で有名になる事でも風邪の特効薬を開発する事でもない、ただ「いい歌」、それだけだ。そんなものに対して私は価値感上人類全体を天秤に掛けているのか、となんだかちょっと呆れるのだが、論理的には、そういう事になる。書いていてとても不思議なのだが、あと何十年もHikaruの歌を聴き続け口遊み続けたら、何かがわかる時が、来るのだろうか。わからない。ただ私には、惹かれ続けているという事実があるだけである。こうやって日々書いているうちに、何かに少しずつ近づけたらな、と思うと同時に、実はもう辿り着いちゃってるんじゃないのという気分もする。"ここ"に居続ければいいと心底思えているのなら。思えて
いる。ならば、歌はやっぱり総ての答の後にあるものなのかもしれない。訳がわからないよ、ねぇ、ホント。