物凄くわかりやすい『あなた』もある。Making Loveだ。特定の1人に宛てた公開ラブレターなのだから当然なのだが、この曲はそれとは別に"謎のオチ"が用意されている。そこまでは彼女に対するメッセージとして聴けば何て事ないのだが最後のパート、
『私を慈しむように遠い過去の夏の日のピアノがまだ鳴ってるのに もう起きなきゃ』
―この部分だけは彼女と直接関係無い。それどころか、最後の最後のSEとして『ジーッ_』という音が入っている事を考えるとこの歌は夢オチだったのかと訝りたくなってくる。現実の対象に対するメッセージだったのが、この最後のパートのせいでいきなりふんわりとした存在感に変換される。ちょうど、抽象美から具体例に帰着したPassion Single Versionの逆である。聴き手によって差はあるだろうが、これによって『あなた』は具体的な1人の人物から何か普遍的な象徴へと変換された…かな?という感触が残される。ここらへんの匙加減は繊細だ。
もういっちょULTRA BLUEからBLUEはどうだ。詩的な言葉が居並び私的な独り言で埋めつくされているかと思いきやまず『darling』が出てくる。これ、日本語に訳すと『あなた』だ。Youというよりは、奥さんが旦那さんに向かって発するあの『ねぇ、あなた』の『あなた』である。日本語の歌の中で英語を持ってきてあからさまさを避けているのもまた手法だろう。
それ以外はずっと独り言かと思いきやかなり唐突に『あんたに何がわかるんだい』が挿入される。この一節はショッキングだが、あなたではなくあんたにしたのはメロディーに合わせてという事もあるし、darling的なあなたとは別ですよという意味も含まされているのだろう。とするとこのパートは、ラブソングより応援歌やメッセージソングの立ち位置に近いのではないかという気分になってくる。確かに、この慟哭ぶりは、自分を奮い立たせているようでもあるし、自分を諦めさせようとしているようでもある。実際の所、揺り動いていたとみるべきか。
その流れでの吐き捨てるような『あんた』だから扱いに困る。何がわかるんだいと言われても未だに何もわかんないよ。
斯様に、ひとくちに『あなた』といっても様々なバリエーションがある。「二人称の音楽」とは、それらの間をいったりきたりするかなり幅の広い、かつ制御の難しい類の音楽なのだ。
次回にこの話が続くかはまだ決めてません。どうなりますことやらですわ。やれやれ。