無意識日記々

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Hello Distance

前回の煙草の話は「短期間で価値観が覆った一例」である。喫煙や禁煙、嫌煙の是非等については触れない。それが短期間であったが故に世代間の差が出やすくわかりやすいのだ。

職業柄、というのもあるかと思う。スタジオに詰め続けるミュージシャンの手軽な集中力維持として喫煙は欠かせない、と。これは以前論じた。同時に歌手として呼吸器系に影響は無いのかという心配を周囲はする。そのバランスだろう。

私のような人間にはそもそも喫煙という発想が無い。好きも嫌いも無いのである。だから、件のMJ死去の折のエピソードも自分のような人間からすれば「その発想は無かったわ」である。そういう意味では世代的にはやや適応的だったのだろうなと思う。この価値観の急激な変化に苛まれる事が一切無かったのだから。喫煙者が大手を振って歩いていた頃から肩身の狭い思いをするまで一通り対岸の火事である。

まぁそんなだから、ヒカルが今後結果的に"どっちにつく"のかは興味がある。本人としては全方位型、全世代型で行くつもりだろうし周囲もそれを期待しているだろうけれど、無意識的な日常の中にはそういう世代差がどうしたって出てくる。果たして、ここまで自分のファンたちが喫煙に対して拒否反応を示す事を予期していただろうか。していたんならいい。していなかったとすれば、無意識的な習慣の中に世代差が紛れ込んでいる可能性について心の端に留めおいておいた方がいいだろう。

勿論、"差"の中には世代の他に国や地域、人種や性、職種や信仰などなど様々な要素があるだろう。それらが複雑に絡み合って各個人が形成されている。"世代"だけ殊更に論うのがアンバランスなのも承知している。しかし、他の要素と違い、世代というのは時間に直接依存し、日々刻々と変化していくものだ。職種や信仰は何十年と変わらない事もあるし、母国が一生同じ人は大半だろうが、世代は変化し続ける。上の世代とは常にお別れを、下の世代とは常に出会いを。なので、"差"についてもとりわけ敏感でもいい気がする。

つまり、自然に歳を重ねて、自分と同じく歩んできた"昔からのファン"と歩調が合えば合うほど、下の世代とは乖離が大きくなってゆく。そういう時にミュージシャンは、例えば若い世代と共演したりして活性化をはかる。それによって若い世代からも受け入れられるかもしれないし、逆に「今時に取り入って」と眉をしかめられるかもしれない。そこはその時の状況次第。

だから、"差"に気付く事は大事だが、それを詰めたり逆に離したりといった事は自然に任せればいいとも感じられる。適切な距離感を見つけていく中で、結果歩み寄ったり距離を置いたりしておけばよい。その為の"気づき"だろう。そこを否定せずにまず受け入れるところから。あとのことはまたその時に考えればいいさ。