無意識日記々

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歌詞の鎖

言葉同士の「近さ」の概念は異様である。器楽演奏は、ちょっとズレたらちょっと、大きくズレたら大きく直せばいいから素直なものだが、言葉は正解に実際に辿り着くまで今どれくらい近付いているかさえわからない。ヒカルはかつて作詞の作業を種々の表現で喩えていたが、「部屋の中にあるはずの古い写真を探しているような」といった言い方もしていたようにも思う。正解の存在だけは何故か確信していて、しかしそれがどこにあるかは(部屋の中だろうという程度にしか)わからない。さしあたっては闇雲に探すだけとなる。

この作詞の作業を、ひとつの楽曲の枠組みを超えて捉え直してみるとどうなるか。一曲々々の歌詞はバラバラで、一見はどれも繋がりがあるかないかはわからない。しかしそこには、同じ作詞家が書き同じ歌手が歌うという別の"共通のファクター"があって、それに基づいて我々は別の歌の歌詞同士を照らし合わせてみたりもする。

勿論割り切れているケースや、そもそもそんな発想もなかった場合もある。特に、タイアップ相手がバラバラであればそれによって世界が寸断されている感覚を無意識のうちにもつ。EVAとKHの世界を繋げて考えようとはなかなか思わないだろう。同人作家さんは別として。更に、前回述べたように、歌詞とは聴き手の人生に依拠したものだから、同じ歌詞でも受け取り方が異なる。そんな中で"共感"を広く呼べる歌詞は優れているとされる。

このように、沢山のフェイズが在る。包括的な議論は難しい。一方で、いち歌手の活動を何年にも渡って追い掛けているのなら、その歌詞自体もまた我々の人生の経験の一部として参照されるようになる筈だ。

歌詞ではないにしろ、それの齎す"威力"はGoodbye Happinessで皆体感した事だろう。『出会った頃の気持ちを今でも覚えてますか?』と歌いながら過去の名曲を想起されるアクションを次々と起こすヒカルの姿を見て感動した事も多いだろう。

まだヒカルは歌詞の面で直接そういった試みをした事は無い。せいぜい桜流しで『あなたが守った街』というフレーズを出したり、とかそういうタイアップ相手との関連性を印象付ける程度で、歌詞と歌詞となると…"Automatic Part2"っていう"タイトル"くらいだろうか。

兎に角、ヒカルのように"大きくて長いキャリア"を背景にすると、歌詞の書き方にも気を遣うようになるかもしれない。過去の歌を匂わせるような歌詞を書けば明示的に繋がりが出来そこに物語が生まれ始める。そうならないように意識的に分断する作業も必要になってくるし、更に今書いた歌詞の影響で過去の歌の歌詞の聞こえ方が変わる場合もある。前回述べた通り、歌詞は歌が奏でられている時間もそうでない時間も"生きて"いる。それらの間の幾何学は我々が自前で構成しなければならない。自分でも書いてて混乱してくる位にこのテーマは論点が多い。またもうちょっと整理がついたら書き直すわ。