無意識日記々

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海外進出や国際的活躍の価値

スポーツの世界での"日本代表"の凄まじい人気の高さを考えると、もしかして商業音楽でも日本人が海外で目立った活躍をすればかなりの注目度になるのではないか、という予測も出来る。例えば映画の世界では賞レースに日本人の名前を見る事が珍しくなくなったが、まだ「世界的特大ヒット作」というものがない為、本当にそうなった時どうなるかはわからない。ほらあれですよ、全米No.1だとか、歴代興行収入第何位とか。

商業音楽の場合、ビルボード第1位がひとつの目安になるだろう事は間違いないと思うのだが、今の日本ではこれすら食い付かれるかどうか結構疑問になっている。というのも、そもそも音楽チャートのランキングというものが興味をもたれなくなっているからだ。延々とアイドルの名前が連なり、それが途切れたらアニソンでは何も面白くない。そもそも最近「今週のヒット曲」という概念がない。そういった状況で全米チャートNo.1といってもピンと来ないんじゃあないか、という風にみてしまうのだ。

それはそれで健全だなぁ、と前向きに捉える事も出来る。スポーツの日本代表とは違い、音楽は他人と競うものではない。各々が気に入ったものを選べばよい、と。チャートアクションをみて何かを決めるとか本末転倒だと。私もそう思うが、"商業音楽"という括りでみる以上は何らかの形で数字が出てそれに基づいて比較されるのは避けられない。レコード会社から小売店に至るまで、日々その"数字"に悩まされている。

これが、寧ろ、大挙して日本のアーティストがビルボードを占拠し始めたら違うかもしれない。そこでの日本人同士の鍔迫り合い、となると"世界の舞台で日本人が切磋琢磨"となって、何か新しい局面が開けるような気もする。

そういう考え方をしたならば、ヒカルがたとえビルボードで孤軍奮闘したとしても、文字通り「海の向こうの話」としてあんまり盛り上がらない気もする。スポーツとは事情が違いすぎる。何より、ヒカルがチャートを上がるとすれば英語の歌だろうからそこで既に距離が出来てしまう訳でね。"Sukiyaki"のように日本語なままなら、また話は別かもしれないが。もし仮に、「宇多田ヒカルなら英語に何の問題もないから全米でヒット曲を出す事も可能だろう」と言われていたのが蓋を開けてみると日本語の歌が受けてしまった、とかになったら、皮肉というか、いやそれも違うな、なんかくすぐったい気分になるだろうな。