無意識日記々

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受け手と送り手の「間」の違い

これまで音楽市場に関して「送り手」と「受け手」に大別して話を進めてきた。しかし、インターネットによる相互作用が強い現代では必ずしもこの区分けは万能ではない。

映画やドラマといった業界もそうだが、音楽業界はやはり楽器が演奏できるとか楽譜が読めるとか、そういった敷居によって送り手と受け手の区別がつきやすい。更に、著作権や出版権の委託の有無によってプロとアマの違いがわかりやすい。その為、送り手と受け手の間に"溝"のようなものが出来やすい。例えば十数年前、CCCDの導入で一悶着あったが、是非は兎も角消費者の立場に立てば猛反発を食らう事は容易に予想がついた筈である。あの頃は送り手側が受け手側に対して不信感を募らせていたのだ。そういう状況を、もともとあった"溝"が作り出していた。

これが全然異なっていたのが、漫画業界だ。これも、どちらがよかったという訳ではないのだが、コミック・マーケットに代表されるように、こちらでは「同人」という独自の文化が育まれた。二次創作という、著作権的にはグレーゾーン、ブラックゾーンといえる文化圏だったが、これによって受け手側と送り手側が地続きになった。それどころか、同人からプロになる例が多発した為、そもそも著作権を守る側である筈のプロの漫画家や出版社が、土壌としての同人文化を目の敵にする訳にはいかなくなった、いや、する訳がなくなった。

この文化状態がインターネットの相互性とマッチした。ますます受け手と送り手の間はなだらかになり、もうどこまでが公式の創作物かわからなくなった。版権絵、なんていう単語の歴史の長さな。

ネットとの親和性と著作権に対する態度は、音楽業界と対照的である。どちらがいいか、というのは容易に結論が出ない。お陰で、ご覧の通り、日本では音楽サービスだけが割高である。それは裏を返せば、創作物に対する対価がしっかり回収されている事の証明であり、それ故に送り手たちを守っている側面もある。漫画業界やアニメ業界の薄給はよく話題になるが、それは常に成り手に事欠かず代わりが幾らでも居るからだ。いやそれは大局的な話であって局所的な現実はきっと人手不足なんだろうけれど。

ただ、インターネットについて考えると、完全に音楽業界は立ち遅れている。受け手と送り手の相互作用で押し進められる文化の方がよりフィットするのは最早当然の事であって、漫画を発端としてイラストや小説、アニメにゲームといった二次創作(いやどれが発端かはいろんなケースがあるけれど)によって"盛り上がりを演出"する事については音楽業界は全く打つ手なしである。

しかし、お陰で音楽の"現場主義"が浸透し、コンサート興行が活況になっているのも事実である。どちらが正義か、という議論はあまり意味がない。何がしたくて、どうすればいいかというのをひとつひとつ見ていくしかないだろう。