無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

それもまた1つの物語

ダヌパが出て来て間もないのに気の早い話だが、あらゆるしがらみから解放されてHikaruの音楽をシンプルに楽しめるようになるには、彼が成人するのを、いや孫が出来るまで待たないといけないのかもなぁ、と思ったりもする。本当に気が早い。

若いと、どうしても物語が付随する。寧ろそれを求めてみんな集まってくる。若さとか恋愛とか結婚とか子育てとか社会的立場とか実績とか影響とか経済効果とか、兎に角周りを取り囲む色々を引き連れて人生は進行する。真ん中にあるのはただ1人の人間が歌っている姿に過ぎないのだが。

孫が出来ればきっと、総てを次に任せられる。もう社会的立場とか経済効果とかキャリアとか将来とか考える必要はない。総ては終わった事だ。いや勿論ポール・マッカートニーなんかは70過ぎても現役で「何がWhen I'm 64だ」と悪態のひとつもつきたくなるが、ある意味、あそこまでいけば「もう何をやっても許される」領域なんじゃないかと。

年齢で区切るのは確かに難しい。しかし目安にはなり得る。Hikaruも復帰後は1児の母としての物語や、国際結婚とか母亡き後とか嫁姑問題とかで語られる。世界契約云々で語られる。市場との向き合い方はとか日本人として、女性として、1980年代生まれとして…切り口、切り込み方は色々あるが、何かそうやって語られるべき事を背負って歌を歌わねばならない。

Hikaruがそういったしがらみから解き放たれた後も尚歌いたいと思うかどうかはわからない。先程のWhen I'm 64ではないけれど、そんな年齢にまでなってという気持ちがどこかにあるかもしれないし、ダヌパに出会ったことでより一層「母ちゃんがんばるぞ」モードに移行するかもしれない。それもまた、自らに物語を課しているのだが。

聴き手に不安や心配を与えず、過度の期待を背負う事も無くなった宇多田ヒカルがどんな歌を歌うか。聴いてみたい。他に何にもなく、ただHikaruがそこで歌っているだけ、という状況は一体どんななんだろう。想像もつかんな。取り敢えずその頃まで生きとかないといかんのか。そっちの方がよっぽど大変かもしれないぜ、やれやれ。