無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

For the Fourth Forthcoming

今のHikaruには"Home"と呼べる場所が4つある。東京、NY、ロンドン、そしてイタリアの家だ(正確にはどこになるか知らない)。いずれも、赴けば寝泊まりできる場所があるという意味で。こう書くといよいよコスモポリタンだな。

今いちばん影が薄いなはニューヨークか。逆に国際的な仕事が始まれば拠点はここになるかもしれない。UniversalやEMIレーベルのブランチなり何なりはあるのだろうか。てか、そうか、その前に今家あるのかな。昔はU3musicもあった筈だけど、今はどうなんだろうね。

ロンドンは、今3人で住んでいるかもしれない場所。2人の故郷ではないが、ダヌパにとっては出生地かもしれないし、出身地になるかもしれない。彼は生まれて早々トリリンガルに晒される訳で、どうやって育つのか興味深いが、まずHikaruがぼくはくまを歌い聴かせるような気もするから日本語から身に付けるかな?

国際感覚、というのなら今まででいちばんかもしれないが、ひとつ指摘するなら、イタリアの婚家が片田舎にあるかもしれないという点か。東京もNYもロンドンも都会であり、Hikaruはずっと都会暮らしだった。そこに"田舎"が出来たとすれば、言葉や国籍よりずっと大きいかもしれない。

都市と郊外の対比は人類にとってかなり普遍的なものだ。特に日本は関東の経済圏がバカでかく、その規模は世界史上最大とも言われる程。「都会の論理」で話が進むのも無理はない。全国ニュースで関東ローカルの交通情報を流すなんて滑稽な、とも思うが数十万人に影響があったとなれば確かに全国ニュースで取り上げてもおかしくないな、となる。それ位都市の力が大きい。

それが"異常"であるという感覚は、そこに住んでいる人間には持ちづらい。閉塞感や距離感、時間の感覚でさえも、都市と郊外では異なる。その部分をHikaruが学べたなら、なんだろう、より広範な人々に歌が届くようになるかもしれない。

田舎のよくない所は学ぶ必要は無い。人間が移り変わらない空間がどうなるかだなんて流動性の塊である都市の人間には知る由もないし知る必要もない。しかし、それも含めて人間なんだと考えられるようになれば、歌の広がりは増す。なので、幾らかはイタリアの婚家で過ごす夏休みも取り入れてみては如何かな。

あ、すいません、田舎と決めつけてしまいまして。