無意識日記々

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皆を引張るか、皆の足を引張るか

ヒカルの元々の立ち位置だと、本人にその気はなくても「後続を育てる」事を求められるのは致し方ない。

レコード会社に所属するとはそういう事だ。他の駆け出しの若手を育てている間に出る赤字分をカバー出来るだけの売上を求められるのがビッグ・アーティストの宿命である。

しかし、ヒカルの場合殆ど下積みの期間が無い。デビュー・シングルからダブル・ミリオンでは、「自分が会社を引っ張っている」とは思えても「会社に育ててもらった」という意識はもちにくい。だから、ドライに言えば「後続を育てる」と言われた時に「自分が育ててもらったんだから次はこちらが」といく必要もない、となる。

現実はそうはならない。CDの値段は相変わらず3000円だ。円盤を作る費用も原盤を作る費用も昔より格段に安くなっているのだからその分収益率が上がっているとみるしかない。昔より原盤制作費用が掛かっている人はよっぽど職人肌だったり贅沢だったりだろう。もし一定数以上売れればそこからはほぼ(よく言われる)「お金を刷ってる」状態になる。

だからといって、昔あれだけ稼いだんだからとはなかなか言えないのが難しいところ。いや、一応発言力はあるのかもしれない。アーティスト活動休止前に全世界契約を結んでそこから5年ニューアルバムがないのだから、それはそれなりの待遇を受けているといえるか。

好むと好まざるとに拘わらず、とはいえ、ヒカル個人の気持ちとしては、自分の活躍で後続を助けられるのは誇らしい、かもしれない。特に今は人の親となり、「育てる」事自体に高い関心があるだろう。

具体的に何かをする、とはならないか。いちばんわかりやすいのは、毎度言っているように、フェスティバルのヘッドラインを務める事で、自らの集客力でひとりでも多くの人に若手を観て貰えるチャンスを作るのが責務となる訳だが、まぁそれはヒカルのキャラじゃない。元々は、円盤を売って会社を支えるタイプだ。

CDや配信の値段は固定されている。再販制度が適用されている書籍でさえ、内容の長さや装丁などに合わせて様々な価格設定が可能なのに、音楽ソフトは文庫本以上に固定的だ。この状況では、市場原理とか競争作用とかいう言葉を持ち出すのはそぐわない。寧ろ、文化維持の方便なのだから、その文化的貢献で評価は為されるべきである。

今のヒカルがどこまで"気が変わって"いるかはわからない。新人だろうがベテランだろうがお互いプロフェッショナルなんだから横一線、みたいな考え方かもしれない。しかし、上述のように、レコード会社という機能に組み込まれている以上、いつのまにか後続は育てているのだ。復帰後にどう振る舞うかは、そこらへんの自覚の有無でまた変わってくるのではないだろうか。