無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

間隔と沈黙と言葉

メッセやツイートが止まっている期間は作詞中なんだと勝手に思う事にしている。慰め。

たぶん、何を書いても今現在書いている曲の詞に結びついてしまうんじゃないだろうか。先にネタバレをするようで、やりづらい。だったら黙ってしまった方が、となる。言葉にのめり込むとはそういう事で、テイク5の作詞中は随分と荒んだようで、そこまで私生活に影響があるとなるとそうそう軽々しくは扱えないだろう。

それだったら、と思うのだ。日本語の作詞をしている時は英語でツイートし、英語の作詞をしている時は日本語でツイートすればいいんじゃないか。言語を切り替えれば、気分も頭も切り替えられるような気がする。どうだろう。

どっちになるか、だ。日本語で作詞をしている以上、想定しているリスナーは日本語話者だし、英語で作詞をする時は英語圏に向けて書いているだろう。その脳を全く逆の相手に向かって使うというのは、どうなるやら。気分転換だと割り切れればいいのだが。

しかし、普段からHikaruは英語かと思ったら日本語、日本語かと思ったら英語、という風に、瞬時にリアルタイムで両言語を使い分けている。難しい事でもないかもしれない。あとは、やってみるかどうか、そして、本当に効果があるかどうかだ。

まぁ、それがパターン化してしまうと、日本語でツイートする度に「今英語で作詞してるな…」と思われ英語でツイートする度に「今日本語で作詞してるな…」と勘ぐられる罠が発生する。そんな事なくても。これは、面倒だな。

これはただの仮定に基づいた提案であり、特にどうしろという事はない。いつからか定番になった「無言の時間」をどうやりくりするかの問題のうちの一つだ。「無言の時間、それもまたよし」と風流を決め込むのも悪くない。時期によっては目立たず潜伏していた方がベターな場合も多い。饒舌は銀である。

しかし、あんまりにも呟かないと相手との距離感がなかなか掴めない。「お、おひさしぶり〜」みたいな感じになる。もっとも、最近では突然現れて唐突に何か呟きまた引っ込む、というケースも多いので、もうやり方は心得ているか、うむ。

取り敢えず、次の"発信"を、待つ事にしますかねぇ…。