無意識日記々

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昔から爺な人の話と昔話の爺の話

あれだけ「熊って名前についてるだけでもう」と言っていたのに日本の誇る熊さんである熊倉一雄に追悼のひとこともないとはどういう事か。朕憤慨。ぽんぽん。(←覚えているだろうか、「ぷんぷんはもう古い!」と言い出して一行AAつきでこう怒り出した事があったのを。もう何年前になるんだあれ…。)

熊倉一雄といえばアルフレッド・ヒッチコックエルキュール・ポアロの吹き替えなんかで有名だ。あとは、ひょっこりひょうたん島のトラヒゲなんかか。でもいちばん有名なのは「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌かな。同作は何度かアニメ化されているが、あの「夜は墓場で運動会〜♪」のヤツだ。読者にこの歌を聴いた事がない人は果たして何人居るかという位有名だと思うが、それを歌っているのが熊倉一雄だ。顔は知らないけど声は聞いた事がある、という人は日本に数千万人単位で居るんじゃなかろうか。

しかし、我々の世代(随分ナロウな…戦隊モノでいえばサンバルカンあたり)にとって彼は「ばくさんのかばん」のばくさんなんじゃないか。私が気に入ってたからなだけか? 数ある教育テレビの15分番組の中で、おいらの中ではのっぽさん(高見映だ)の「できるかな」と並んでツートップにお気に入りだった。今や何がそんなに楽しかったのかサッパリ覚えていないのだけれど、冒頭の滑り台だけで胸が高鳴っていた事だけは鮮明に覚えている。なので、世間的には声優さんポジションだったりそうでもなかったり(何しろ芸歴70年だかの文字通りの化け物なのでどの時代の仕事に触れたかによって印象が変わるんだよね)するのだが、私にとっては最初っから顔バレしたおじいさんだった。てか、30年以上前からずっと老人というのも凄いな。あとから、あの声もばくさんだ、この声もばくさんだと…違うな、私幼稚園児の時点で声優という職業を把握していたので(何しろ、グリーンorブルーバックを見て「クロマキーだ!」と叫ぶようなガキンチョでしたから
)、「これも熊倉一雄だったのか」みたいな反応だったかな。まぁどうでもいいや。

そういう幼い頃の刷り込みのお陰で、今でも彼の声を聴くだけでなんだか楽しくなってくる。まぁ実際おもろいお爺ちゃんだったのだが、やはり最初の印象というのは大きい。故に、私は熊倉一雄を過大評価しているのかもしれない。


嗚呼、じゃあヒカルにとってそれにあたるのは「日本昔ばなし」の常田富士男じゃあないか。あと市原悦子もなのかな。BLUEの歌詞を朗読してもらっただけでヒカルが号泣したのは有名な話だ。いや別に有名でもないか。彼女にとって、常田富士男の声は幼少期の記憶を呼び起こすスイッチのようなものだろう。タイミングは明確ではないが、「日本昔ばなし」はヒカルが日本語の勉強をする為に見ていたコンテンツのひとつでもあったかもわからない。幼い日に感じた言葉の壁、寂しさ、心細さ。大人になったから明るく話せるが、「私、ひらかない!」って言う気持ちはいかばかりであったのか。そこに流れてきた優しい声。そりゃあもう、トラウマ級に刷り込まれているのではないか。鼻水垂らしてコラボを喜ぶのも納得である。

そういや誰かが「ダヌパに日本語を教える為に日本昔ばなしのDVDBOXを」みたいな事を言っていたな。ありえる。あの番組の描く「日本」は、本当に独特だ。どんな伝統よりも伝統らしい。それこそ、新編の放送が決まって「宇多田さん、主題歌どうですか? 今回のシリーズも常田富士男さんと市原悦子さんですよ」とオファーしたらヒカルOKするんじゃないの。日本の心ですよ。いい子守歌が聴けそうだ。どうですかTBSの中の人たちの皆々様方〜?