無意識日記々

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リークニーズ

宇多田ヒカルのうた」アルバム関連のイベントで、新しいなと思ったのは試聴会の開催である。グレイトなサウンドでニューアルバムを聴く。もう一年も前の話になるが、今度はこれをヒカルのオリジナルアルバムで行うだろうか。ないかな?

事情が余りに違う。注目度が違う。熱気が違う。当時会場では、発売日前という事もあって、箝口令が布かれたが、どうやったかというと梶さんや沖田さんに「ネットとかに書かないでくださいね〜」と言われるだけだったのだ。いわば、リスナーの良識に任されていた。そして事実、まともなリークは無かったと思われる。少なくとも私は知らない。

これが「宇多田ヒカルのニューアルバム」だったら…箝口令は無理なんじゃないかという気がする。極端な話、今現在の小型マイクの性能を考えたら衣服に忍ばせたマイクで録音したらかなりの音質で録れてしまう。そんなものが発売日前にネットで流されたらと思うとゾッとする。ただでさえマスターテープのリークには細心の注意を払わなければならないのに、試聴会なんてしたらリスクが増えるだけだ。もしくは、来場者に一筆書かせるくらいの"ものものしい雰囲気"がないとな。

…っていうくらい注目されて欲しい、って、思っちゃうよねという話でした。

実際の所、どうなんだろうか。リークしたがる人(或いはそれで儲けたがる人)は多い。ネームバリューは桁外れである。しかし、純粋にそれに食いつく人ってどれくらい居るのかなと考えると3年とか5年とか8年とかのギャップの深さが身に沁みてくる。いいのやらわるいのやら。みんなそれだけ歳をとったのだ。宇多田なんて居なくてもやっていけてるのだ。そこにもう一度。ハードルが高い高い。ヒカルもダヌパに高い高いやったげてるのかな。なんであれ無性に楽しいんだろうね。俺もされて楽しかったわ小さい頃。それはさておき。

そういう意味では、リークされたなんていうニュースが流れた方が「あぁ、まだ注目されてるんだ」と安心出来るかもしれない。今時流行りの炎上で話題作りだな。いや勿論本音はそんな事して欲しくないんですが、忘却の切実の比喩としてそんな言い方も出来るかな、なんていう風に考えてしまった。

いや、リークされて、それが圧倒的な内容であるが故に話題になる、とかだったら、ちょっぴり嬉しくなったりしてしまいそうだ。Popsってめんどくさい音楽で、自分が気に入っただけでは完結しない。他の人の反応もみて安心したりするところまでがPopsである。プログレなら「俺しか知らない隠れた名盤」を見つけると非常に喜ばしかったりするのだが、Popsの場合は自分が気に入ったものが1人でも多くの人に支持されているのを知って喜ぶ。それが楽しみ方である。それを考えた時に、リークされるくらい、そして、そのリークにニーズがあるくらい注目されていたらと夢想するのは、危うくも魅力的な思考実験だ。現実には起こらないで貰いたいからこその妄想の味わい方である。あともう一息、頑張れヒカル。