無意識日記々

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不安定で安定中

この「宙ぶらりんぶり」がヒカルの特徴である、とも言える。商業主義に傾倒するでもなく、芸術至上主義に人生を捧げるでもなく。うまくいかなければ「どっちつかず」で終わるだけだが、うまくハマれば玄人も素人も絶賛する作品を作り上げる。勿論売れる。売れまくる。全員が買うのだから。

ヒカルはプロ意識が高い。だからといってそこに身を捧げる事はしない。例えば、「自分はこういう音楽はピンと来ないが、市場にニーズがあるから作ろう。」とはならないし、逆に「誰が何と言おうが自分はこれをいいと思ったからこれで行く」というように頑なになるでもない。どっちにも振り切れない。

よくそんなので曲が完成するな、と思うのよ、これ。

創作や製作は、いつまで経っても終わらない作業だ。時間と予算さえあれば、いつまででもいじくりまわし続ける事が出来る。そこに時間的制約を設けたり、ある一定度のクォリティーになればそれでよしとしたりといった何らかの"基準"を設えて初めて世に問える形にまとまる。仮に基準が明確であっても大変な作業である。

なのにヒカルは、どちらにも振り切らないというのだから、一体何を基準に完成品と見なしているのか…全くわからない。時間的制約があるならいい。そこまで頑張ればいいのだから。しかし、今のヒカルは自ら締切を動かせてしまう立場に居る筈なのだまだ。

プロデューサーとして作品の質や用途を保証する時の基準が一定しない、或いは明示できない、更にはそもそも事前に想定する事すらできない、といった根本的な問題が浮かび上がる。ヒカルはいったい、いつ作業を終えればいいのか、誰に、何に相談すればいいのか。物凄く不安定な場所に居たりするかもしれない。

更には、であるならば、世に問うた時に一体どんな反応をもって手応えと言うのかすらわからない。たとえ望んだ形ではなくとも、ポジティブな反応を貰えればそれでよいのか。これ、難しい。曲を書いて宣伝をすれば、何人かは気に入る。それだけなら、ハードルはかなり低い。やはり、どれ位かの一定数以上の好反応が無くば手応えというのは有り得ないだろう。では常にシングルをリリースする度に「今回は何万枚くらい売れれば合格」という風に設定しているのかというと…やってないよね、ヒカル本人は、特に。

結局はひとりひとりの反応を見て逐一ガッカリしたり喜んだり、というだけなのかな。だとすると、自然体過ぎる、と言いたくなるんだけど、その"過ぎる"を極めると「好きな時に好きな曲を作って人に聴いてもらって」となるから、音楽に復帰するしないみたいな2択にはならない。そんなキッパリしなくていい。かといって、では今まで音楽を一切書いていなくて、仕事が始まるから書き始めた、というのでもない。ゆる〜く音楽は書いていたのだ。どっちつかずの中に、人間活動がどうのという"宣言"を盛り込むと、こういう風に混乱を招く。

これだけどっちつかずなのにヒカルに優柔不断や付和雷同、あやふやな部分は全く無い。ただただ自分の位置を常に「どちらの極端にもならない」に置いてきた成果だ。うーん、ちょっと常人には考えられない。

…よく生きてられるなぁ、と、素直に感心する。不安じゃないのだろうか。私なんて「人生なんて所詮割り切れないものだ」と割り切って生きているのである意味本当の不安と向き合っていないようなものなのだが、ヒカルは常に不安と向き合ったまま生きていける強さを持っているという事か。いやはや、尊敬できてしまうな、人として。